ドビュッシーのアラベスクについてもうちょっと・その1


先日は、ベートーヴェンのピアノソナタ第12番をレッスンしていました。おそらく「はじめてペダル記号が作曲者の手によって書かれた」のは、この曲の第1楽章だと思います。初版を見ると「senza
sordini」(ダンパーなしで、と訳します。sordino弱音器と訳されてしまうので注意)という表現で、上下に書かれています。この当時は「ひざペダル」の楽器だったので、いわゆる「ペダル」という表現ではなかったのだと考えられます。おそらく、上半分、下半分でダンパーが別れていたのだと思います。

現代の「原典版」では、Ped.になっています。

もっと初期のソナタを見ると、この上下別々のダンパーペダルがほしくなります。(ピアノソナタ第2番作品2-3 第2楽章)右手はダンパーを上げて、左手はダンパーをおろして弾きたいです。

そののちの、ロマン派の音楽家たちのペダルに対する記述については、これまで何度か述べてきました。なんといってもペダルの書き込みが細かいのは、ショパンです。私はこれまで述べてきたように「ショパンが楽譜に書いたことは、実際の響きではなく、手指とペダルの操作法」であったと考えています。ロマン派のピアノ作曲家にとって、自分らの先人はベートーヴェンなので、ペダル表記の方法は自分たちで作り出すしかなかったわけですから、「様々な表記法」が出てくるのが当然です。

それに対し、シューマンのこのような表記は「この曲のペダルは自分で考えてくれ!」というものだと思われます。

私は「ショパンの楽譜の書き方は主流にはならなかった」とみています。つまり、その後の多くの作曲家が「楽譜に響く音」を書き「ペダルは自分で考える」という記載の仕方になっていったのだろうと思います。
さて、ドビュッシーです。彼もあまりペダル記号を書いていません。たとえばアラベスク1番2番通じて、一か所も記していません。もちろんペダルを使わなければいけないことは明白です。つまり「ペダルは演奏者が考えること」そういえば、ドビュッシーは、自身の練習曲集で「指使い」についてもそのようなことを言っています。

ダンパーペダル、これは、弦の振動を抑えているダンパーを、一気に全部上げてしまいます。「弾いている音のダンパー」だけでなく「全部のダンパー」を開放してしまいます。
音は、解放された弦に共鳴し、さらに楽器へと共鳴します。「共鳴の広がり」つまりペダルを踏むと「音が広がる」と私は考えています。例えば中央のCを弾いてから、ゆっくりダンパーを上げると、ほかの弦にその響きが伝わって広がっていく。このような感覚は大切なので、一度グランドピアノで譜面台を外して「ダンパーペダルによって音が拡がる」のを「見る」といいと思います。
よく「ハーフペダル」といいます。私も使ったりしますが、これはよく考えると「ダンパーが弦に触れるか触れないか」の微妙な部分です。ダンパーと弦は離れてしまえば2ミリも5ミリも同じです。ですから「弦とダンパーが離れるか離れないかのところで、神経を使うことになります。これも響きがどれだけ広がるかを聴きながら、ゆっくり踏んでいく。「広がっていくのを見るように」ちょうど、水に石を投げ込んだら、周りに広がっていくかのようです。
さて、私が気になるのは、出だしです。
この踏み方だったら、いきなり響きが広がりすぎて、何だかそぐわなかったのです。

かといって

だと響きが薄い

赤で囲った部分の響きが消えちゃうのもさみしい。

赤の線のように鍵盤を抑えておくと、響きがちょうどいい。
これは、工夫のしかたの一案です。ダンパーペダルとフィンガーペダルの組み合わせで、響きのふくらまし方を作っていく。もちろん、微妙なタッチとペダルの踏込のタイミングを様々に工夫してみてのことです。「これが正解」というのではないです。
どうしても「楽譜・注釈校訂版に表記されているペダルのしるし」は「onとoff」であり「響きを聴きながら少しずつ踏み込んでいく」なんていうのは書かれていないです。
ただ「その時間響きが濁らない」ではなく「響きの広がりが時間の経過とともにどのように変化するか。また、その広がり方がその曲想にあっているか」ということが重要です。場合によっては、同時に踏んで「弦のアタックの音」も響かせてしまうことだってあります。

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