体感しにくい休符の存在・・・

Photo 日本人の音楽教育 ロナルド・カヴァイエ 西山志風 (新潮選書)125~126ページ
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わたしたちが楽器を演奏しているとき、そのときの音楽の内容からして、たいへん気持ちが高まっているときには、意識する、しないにかかわらず、しばしば身体も緊張するものです。一例をあげましょう。ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第四番変ホ長調(作品七)の第二楽章の冒頭のメロディーは休止符によってとぎれとぎれになっています(楽譜1参照)。各小節で最初の半分がメロディーで、あとの半分が休止符、といったぐあいです。さて、ベートーヴェンはなぜこのような楽譜をかいたのでしょうか。わたしが、あるとき、学生にこの質問をしたところ、学生のひとりが、「もし、ベートーヴェンがそのメロディーを休止符なしでかいたとすると、そのメロディーはたいへん美しい、かなり長いものになるでしょう。ところが、休止符でカットされながらメロディーをかくことによって、そこにある種の緊張がうまれます。ベートーヴェンはきっとそのような緊張をもとめていたのでしょう」と答えました。その通りだと思います。するとべつの学生が「そのような緊張は音楽のなかに存在しているのでしょうか、それとも、ピアノ奏者の身体のなかに存在しているのでしょうか」とたずねました。わたしは両方だ、と答えました。
休止符の最中、もちろん、ピアノ奏者の身体の動きは止まるわけですが、たとえどこにも動きがなくても、ある種の緊張感がピアノ奏者自身のなかに存在していることは疑いえません。休止符がくると、つぎにそれを埋めようとする欲求がきます。これがコントロールされた緊張の一例です。
♪休止符を越えて感情のながれを維持するためには、たいへんな緊張が必要ですものね。でもそれがまさに芸術的に意味のある「休止符」なのですね。
そうです。ピアニストにとって、そういう意味での音楽的緊張感は大切なことです。ところが、わたしたちが楽器を演奏するとき、この音楽的緊張が、わたしたちの身体のある一部によって表現されることがしばしばあります。(譜例のみISMLPから転載)
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さてここで、「休符にともなう身体的な緊張」があることが述べられていますが。ピアノ演奏(鍵盤楽器全般)では、これがすべてうまくいくかどうか問題があります。
バッハ:イタリア協奏曲 第2楽章(楽譜2)ここでは左手が弦楽合奏を思わせます。これをもしパート別にすると(B)よりはっきり休符が浮き出てきます。弦楽合奏で演奏された場合、個々の演奏者に「休符の緊張感」が「身体的」に存在し、それが「音楽的によい効果」を出すと考えられます。では「一人でピアノかチェンバロを弾いているときは????」
このようなケースは非常に多いです。たとえばバッハのシンフォニア第1番です。(楽譜3)①は右手が感じる休符ですが、②や③は手で感じにくい休符であると思います。しかしシンフォニアを3人の演奏者でパートに分けて演奏された場合、①も②も③も同等に身体で感じる休符であるはずです。
私は「その時、次の音を弾く個々の指が、その休符の緊張を感じる」ことが必要と考えています。ケースバイケースです。無視することはできない。これは「鍵盤楽器が合奏の模倣」である以上、宿命のように思われます。
譜例4 ショパン 華麗なる大円舞曲 作品18の場合、左手部分を分解して赤○に注目します。この赤○の部分は、弾んだ音が拡がっている休符です。たとえばこの部分をチェロで弾くと考えると、音がどのような動きを持っているか、弓使いから想像できます。では、実際の、演奏で、このような動きが表現できているか?左手は、内声にポジションを移動しなければいけないのに、要求される音は、一小節単位で弾んでいます。チェロで下のパートが弾かれるように響かせることが要求されています。
楽譜5は、最初に例に挙げたベートーヴェンのソナタの再現部に出てきます。赤○の部分があったとしても、最初と同じような緊張を持って弾くことが要求されていると考えられます。
鍵盤楽器は、多くの声部を扱うことが要求されているので、「体感しにくい」部分がたくさん出てきます。同じモチーフでも「体感」しやすかったりしにくかったり・・・これらに対する配慮をすることにより、演奏の表現が拡がっていくように思われます。

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