記憶と音楽・ここから派生する様々なこと

実は、私たちは「何かを聞く」ときには、短いスパンの記憶を使っている。この頭脳の働きを使わずに「聞く」ことはできない。
たとえば、あなたのお友達があなたに「今日は天気がよいので、公園に散歩に行こう」と言ったとしよう。瞬間瞬間には「て」「が」「え」「い」などの音節が響いているが、その話を聞くあなたは「文章の最初から頭の中に文字を保存し、まとまりをつけて整理し、記憶してそれを理解する」ことをしている。この「整理と記憶」がないと、人間には「音節のバラバラな断片」しか聞こえない、単語や文章といったものが成立しなくなる。

音楽の場合もそうだ、その瞬間瞬間は赤で囲った断片的な音でしかない。

その前に発せられた音を記憶して「ある程度のまとまりとして」聞いている。それによって「メロディー」や「ハーモニーの変化」が音楽として認識できる。これはとても大切な点である。(音波の振動には、必ず時間が伴うのだが、ここではそれは問わない。人間の認識の問題である)
演奏者側はこのことを強く意識しなければいけない。「まとめられて演奏しているかどうか」
またここから言えることとして「音楽を鑑賞する」というのは多かれ少なかれこの「聴き手の脳内の努力」があるということになる。この負担が「多い、少ない」は様々である。この負担を少なくすれば「聴くのに多くの努力はいらない」ことになるし、逆に「努力して聴く」という能動的な鑑賞によって聴く音楽もある。これも「複雑な文章を理解する」のと同様に「訓練していく」可能性がある。
譜読みのときに、このことに気を配っているか。「バラバラな音節の断片」というのはいつまでたってもそれ以上のものにならない。「まとまりをつける」ということが必須である。
「音間違いにたいして注意する」ということに関しても「この音が間違っている」という認識だけでは不足である。その音が属する「モチーフ」「メロディー」「ハーモニー」のなかでの位置づけを確認して、はじめて意味をなす。私は普段、音間違いについて注意するとき「そこの響きが何か変だな」という言い方をすることが多い。間違いの音のために「前後が続かない」とか「ハーモニーの中に異質の音がある」などに気づいてもらう。つまり「そちらへ聴くことの注意を向けさせる」。大概の場合、音間違いは、生徒が「音を一時的に覚え、処理してから弾く」ことをしていないときに起きる。
この「まとめる」については、まだまだいろいろな視点から考えていく方法がありそうだ。
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