ベートーヴェンのピアノソナタ 第5番から

友人のMさんが遊びに来た。彼女は音楽高校時代からの友人で、現在は神戸を中心に、ピアニスト、ピアノ教師として活躍している。
さて、彼女がベートーヴェンのピアノソナタ第5番について発言したことは、少し気になったので、考察しようと思う。第3楽章の①の部分が、何調であるか、ということ。彼女は「変イ長調に感じる」という。

①の部分について表にしてみた。

Asを足すと、確かに「変イ長調」になる。このAsは、2楽章の「残像」だというのである。Gを足せば「ハ短調」のⅠである。どちらで理解するかによって「個々の音の役割」も違ってくるので、弾き方そのものにも影響が出る。Hの音の役割と位置づけが、気になるところではある。
②まで来ると、c-mollのⅠは、はっきりする。
「第2楽章の残像」ということが、自分の考察から抜け落ちていた。これはちょっとしたショックだった。「ベートーヴェンの意図の可能性」として「調の流動的な変化」ということがあったかもしれない。

ベートーヴェンは、楽曲や楽章の冒頭に、はっきりとしたその調の「Ⅰの和音」を打ち出すこともあれば、「果たしてどの調だろうか」と思わせぶりな出だしを書くこともある。どちらも「ベートーヴェンらしさ」であるといえる。また中期以降、楽章と楽章の切れ目をなくして、その間の調の移り変わりを工夫したりもしている。だったら、この第2楽章の「長く引き伸ばされたAs-durのⅠ」の響きが、終楽章の出だしの残像として心に響くことも、大いに考えられる。
私はこの①の部分が「調性のあいまいな部分」として考えることができると思う。譜例で示したように「調の重なり」も考えられる。

左手の和音を取り出してみる。

このようなAsの残像を足した見方は、左手の上行形をよりはっきりさせ、音楽の方向を冒頭から指示しているといえる
ベートーヴェンは、とくに中期以降、楽章間の転調や気分の変化を巧みに行い、ソナタ全体の統一感や形式を、より有機的に発展させる。この箇所は、そのことの無意識的な萌芽かもしれない。
西洋音楽の調は近親調という関係をハーモニーで行き来することで、音楽の気分を変化させている。ハ長調のⅣの和音は、下属調であるヘ長調のⅠであるし、Ⅴの和音は属調である。それによって西洋音楽は「転調」を大いに用い、大きな規模の楽曲を可能にしたといえる。

Mさんの指摘には今までの「分析の常識」を2つの点において覆している。
1.「その場に書かれていない音を、響いているものとして扱う」
2.「終止線を越えて、ものを考える」
また、彼女のアイデアから、ベートーヴェンだけでなく、のちの音楽家たちの様々な楽曲の、楽章間の「つなぎ」を有機的に発展させる萌芽を、ここに感じ取ることができる。
私は、Mさんのこのアイデアが「音楽分析」と「ベートーヴェンのソナタの在り方と、その後の発展」両方につながっていく可能性、斬新生を秘めていると感じている。

楽章と楽章の間には終止線があり、はっきり気分が変わるものとして分析上、別のものとして扱う。しかし、そのような「常識」が「ベートーヴェンの意図」を読みにくくしているかもしれない。
ついつい「ここの調は何調である」といったらほかの可能性を考えない、終止線があったら前は関係ない、などと単一的に考えてしまう。あるいは、一度分析して結果が出たら、安心して安住し、思考を停止してしまう。「せまい自分の分析の中に偉大な作品を閉じ込め、そこに入りきらない部分を切って捨てる」ことへの反省もある。

天才は、もっと広い視野を持っているものだ。「分析してわかったつもりになる」ことへの反省。

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