ストリートピアノ
私もこれは意識しなかったのだけれど。
そこにピアノがあって「どうぞ」だったりすると、ちょいと弾いてみたくなる。ピアノを普段なんとなく練習していて「こんなところで?」と不思議な場所でピアノに出会う。駅のエントランスだったり商店街の広場だったり。
以前、書いたことがあるけれど「録音」を音楽に持ち込むうちに「音楽」と「人」が切り離されてしまった。まだそれが起こってから100年とたっていない。だから、以前の人たちは「音楽と人」が離れていないのが基本だった。カラヤンもグレン・グールドもまだ「前の」時代の人たちだ。
1920年に、サティが「家具の音楽」というのを作った。いわば「聴かれない」音楽の始祖みたいなことだといえる。でもこれは大失敗。そこにいた人たちは、演奏者のまわりに集まって「その演奏を聴く」ことをしたからだ。これは「人がそこで」演奏しているからだといえる。
今、僕の手元に、小澤征爾と村上春樹の対談がある。この本の中ではCDやレコードを聴きながら、果物をつまみながらしゃべっている。実際の「演奏の現場」ではこんなことはないだろう。つまり同じ演奏を前にしても「生でそこに人がいる」のと「録音などを聴いている」のとでは、受け手の態度が違う。
さて、商店街や駅、空港などの街角から音楽が聞こえてきたら、たいていは「バックグラウンドミュージック」だと思うだろう。録音されたものをスピーカーからなんとなく流す、ということは100年前と違って「人間から切り離された音」が日常になってしまった。
それが、「ストリートピアノ」に振り向いてみると「そこに人がいる」「人間と音楽が再び結びついた」きっとこれは「人間と音楽」が切り離されたことに、人間が「無意識のうちに気がついた」のかもしれない。人間の中にある「個々の欲求」があちこちで同時多発的に表れ始めたのかもしれない。
歴史を見てみると、人々は「極限」の中でも「音楽」を離さなかった。戦争中、捕虜になった人たちの中でさえ、音楽はされていた。日本での「ベートーヴェンの第九の初演」や、ドイツ軍の捕虜収容所の中から「メシアン・世の終わりのための四重奏曲」極寒のレニングラードでの「ショスタコーヴィッチの交響曲7番」また、黒人の人権運動の中でのジャズなど。人は「戦争」という非人間的な極限でも、音楽を自分たちから離さなかった。