先日のアドバイスレッスンから

先日、ある小学4年生のアドバイスレッスンをした。曲は、オスカル・コルベルク※のポロネーズ。左手の跳躍したバス音が、体の小さい子にはきついようだ。この音を弾くごとに、体が前のめりになり、音楽の流れが一小節ごとにさえぎられる。右手のメロディーもその動きにつられて、1小節単位になる。

このバス音は、4小節単位でひとつのサイクルを形成している。(赤○と赤線)音は離れていても、この大きなサイクルは逃すことができない。
さてこの大きなサイクルだが、まずは「姿勢をよくすること」からやってみた。姿勢を良くすることは「見栄え」ではなく「体の各部分の支点をはっきりさせることだ。これによってそれぞれ体の部位の動きと方向を整理することができる。ピアノを弾くための動きが整理されないと、どのようにピアノに動きを伝えていいかわからずに、無駄な動きがあちこちへと走ることになる。このバス音は、下に下ろすのではなく、上に弾むだけのタッチを使う。それによって長い大きなサイクルを形成することができた。
それぞれの体の部位が、異なる単位のサイクルをかんじるとよいはずだ。ということは、体本体はもっとも大きなサイクル「楽曲ひとつで一サイクル」ということになるだろう。
ひとつの楽曲には、同時に複数のレベルのサイクルがある。一音ごと、一拍ごと。一小節ごと、一フレーズごと。これらがさまざまに重なったりすることもあるし、休符をまたいでサイクルが作られることも多い。楽曲のその場その場で判断するしかない。以前、ペッツォルトのメヌエットで、数え方が同時に何種類か存在することを書いた。⇒こちら
ピアノを弾く場合「一拍ずつ数えたら、一小節ごとがおろそかになる」とかいう発想は捨てるべきだ。同時に複数のことが起こって調和しているのがアンサンブルであり、ピアノ演奏は(鍵盤楽器全般は)その模倣であるからだ。
ヴァイオリンとヴィオラとチェロは、それぞれ違ったサイクルのパートを演奏している。あるものは一小節ごと、あるものは4小節単位で動きを感じる。
「一つのものしかできない」「一つのものしか聴こえない」という発想は捨て去るべきだ。これは「かなりの初歩から問題になっているはずだ」
気持ちで「きれいに弾きたい」だけではうまくいかないことが多い。教師は「ピアノに動きを伝え、音になる」線や音楽の仕組みをよく見極め、それを阻害するものを丁寧に取り除くことができればいいと思う

※Oskar Kolberg 1814-90
ポーランドの音楽家、民俗学者。エルスナー(ショパンと同門)に音楽をまなんだのち、ベルリンで勉強を続ける。民俗学の著書も多い

無料体験レッスン

【大竹ピアノ教室】トップスライド画像
1回45分程度の無料体験レッスンを受講いただけます。
必要項目をご入力の上お申込みください。
皆様のお申込みをお待ちしております。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です