「哲学的な音」―言葉と音楽を結びつけるために―

こんにちは。
明石市魚住の大竹ピアノ教室の大竹道哉です。
本日もブログを発信していきます。


だいぶ昔のネタで申し訳ないと思っていますが、あるピアニストの本に「ある時レッスンである先生が「バッハは哲学的な音で弾かなければならない云々・・・」と言った。そこで生徒が「では哲学的な音とは?」と聞いたら、先生は怒って生徒を36回?叩いた」という話。

「ピアニストという蛮族がいる」中村紘子 より
━━━━ 恐るべきことは、今日でもこうした「お師匠さん」タイプのピアノの先生が、決して絶滅したわけではないことだ。ついこの間も、関西のある高名な先生の弟子だった女性が、その先生のところをやめたきっかけは、レッスンでバッハを聴いて貰ったところ、「あんたはもっと哲学的な音を出さなくてはいけない」と評するので、思い切って「ではどうやったら、そのような哲学的な音を出せるのでしょうか、弾いてみて下さいますか」と言ったところ、なんとたて続けに叩かれたのだそうだ。そして信じられないことに、わずか一時間のレッスンの間にその女性はなんと三十六回も叩かれたという。帰宅してそのことを母親に話したら、それにしても三十六回とはよく数えていたものね、と感心されてしまったと彼女は笑った。彼女はその先生の家を出るとき、もう金輪際ここの敷居はまたぐまいと心に誓ったという。━━━━

では、「哲学的な音」とは
「哲学的」から思い浮かべることとしては「思慮深い」「論理的である」ほかにもあるかも。でもこれだけでも「弾き方」に応用できるかもしれない。少しだけ考えてみた。
実際の「哲学とは何か」ではなく「人々が哲学という言葉から多く思い浮かべること」であることに注意。
まず「思慮深い」たとえばある音からある音に抵抗なく進んでしまうと、あまり「思慮深い」という感じはしない。音から音に移すとき、もし幾分慎重に移るとするとそれは「思慮深く」聞こえるかもしれない。また、音から音を「曖昧に」移ると感情的に聞こえる。(それは音が移りたくないけれど次に移る、という気分を出すかも)はっきり移す。しかしそのとき打鍵のアタックが強すぎると「慎重に音を移す」感じを損なってしまう。
「思慮深い」音色としては「派手」ではない。和音の場合、上声を大きめに出すと、派手に聞こえ、内声を出すと、落ち着いて聞こえる。「思慮深い」感じのする音は、どちらかといえばこちらかもしれない。内声は、和音の性格や方向性を示していることが多いので、なおさらだ。
「論理的である」その箇所その箇所のハーモニーをはっきりさせ、カデンツを意識させる演奏をする。和音の中のそれぞれの音の意味を把握し「案内」「方向」のわかりやすい演奏をする。ただし、それぞれのハーモニーをはっきり聞き取れるテンポを使う。「弾き飛ばし」をしない。「メカニック」を前面に出さない。などがある。メロディーよりも、ハーモニー中心に、音楽を考えていくといいかもしれない。
もちろん各所各所で対処の仕方は違うし、ここに書いたことと正反対のことを行うこともある。その場その場で皆さん考えて実践してみればいいです。相談にも乗りますし「こうしたらうまく弾けた」というメールもお待ちしています。
「曖昧な言葉」を「具体的な弾き方」に変えて考えていくことは、価値のあることだと思う。作曲家の書いた音の性質や音楽の中での役割を読み取り、抽象的な比喩と現実の表現をつなげることは、ある程度可能です。またそこで出てきた「言葉」を仲介にして、他の楽曲における問題に対処していくことも可能です。これは多くの音楽家が目を向けていなかったフィールドではないでしょうか?

実際の演奏において語られる「形容詞」は、音楽の中の具体的な「要素」に置き換えることができる。
たとえば「論理的な」演奏をしたいと思う場合、音楽の中で「論理的なもの」を担っている要素を抽出し、意識し強調して演奏することにより、「論理的に」聴かせることができる。
ある演奏について「これは論理的ではない。もっと論理的に演奏するべきだ」という評価を得た場合(その評価は聴き手でも演奏家自身でもいいのだが)楽曲の中の「論理的なもの」を担っている要素を抽出することにより、演奏の問題点をはっきりすることができる。
「明るい」→「上昇志向を持つ」→「音階の中の上昇志向を持つ音を抽出する」というようなプロセスを行う。

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