中村紘子さんの訃報・・・

戦争が終わったのが1945年8月。復興、それから高度成長。クラシック音楽の日本における受容も、これらのこととは無関係でいられないだろう。まだ、テレビも普及していない時代に、「会場に行って舞台を見聞きする」ことへの要求は、今とは比べ物にならないほど高かっただろう。
1948年の「桐朋学園大学音楽学部附属子供のための音楽教室」は、次代のプロフェッショナルなクラシックの音楽家を育てる、それは日本の復興と文化の繁栄も意図していた。後年、初代室長の故・吉田秀和氏がベネゼエラのエル・システマと重ね合わせて述懐しているのを読んだことがある。
中村紘子さんは、第一期の生徒としてそこに入所したという。井口愛子先生のクラスへ・・・
井口愛子先生のレッスンは、私自身の若い時の大切な経験だ。その自分の音を「集中し、聞き逃さない」という姿勢は、強烈な叱責でもあった。今から考えると「古い時代の奏法」であり、問題点も多々あるが、その「集中し、聞き逃さない」という姿勢と方法。その与えられた楽器から「自分の声」を探すという体験は、今に繋がっている。
まだ小学生の時に、長野県松本市で中村紘子さんの演奏会に行ったことをよく覚えている。1970年代前半だったはずだ。ムソルグスキーの「展覧会の絵」がそこでは弾かれた。まだその当時はこのようなピアノ演奏会に対して「町にピアニストが来る」という「すごいこと、特別な時間」という意識があった。市民会館は満員だった。これは、戦後の復興、音楽に対しても人々が飢えていた、本物の音が聴きたい、という時代の人々の要求の、最後の残像だと思う。
中村紘子さんは常に先頭に立っていらしたと思う。音楽コンクールのことなども多くの仕事をされてきた。
2004年11月には「井口愛子先生没後20年記念演奏会」に出演された。これは私もピアニストとして出演している。
間近で見た中村紘子さんは、小柄で背筋がしゃきっとして、どこかに緊張感を感じる、今まで自分が接してきた人の中で、最も「オーラ」を感じた。後にも先にもこれだけ強いオーラは、カラヤン以外に感じたことがない。
クラシック音楽をこれまで聴いてきた人には、中村紘子さんの72年の人生と、その時代に自分が何を見聞きし、どんな気分であったか、その時代の空気はどうであったかを思い起こすといいと思う。「生の演奏が聴きたい」といった要求が今の何倍も高かったころに、中村紘子さんは日本を駆けずり回った。そして多くの人がその「夢」を追っかけていった。人々は所得を増やし、ピアノを持ち、弾くことに夢を託した。
ひとつの時代は終焉を迎えた。ピアノを弾くことが自分たちの文化になるために、もう一度原点に戻って、すべて考え直さなければいけないと思う

2004年井口愛子先生没後20周年記念コンサート 東京芸術劇場 2004年11月4日
お話をされているのが中村紘子さん、筆者は左から8人目

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