友人への手紙から・・・「音楽とは何か」をちょっとだけ考えてみた

かつて音楽家は、雇われだったといわれています。王侯貴族の望むもの、その場の気分の良さを引き出すためのものだったと思われます。現に「カントは、音楽を「快適な技術」に過ぎないと考え、如才ない会話だとか、食卓に供せられる料理の類だとか、香水をふりかけたハンカチなどの同列に置いた」(岡田暁生著・音楽の聴き方 中公新書7ページ)
私はそこに「音楽家の反抗」があったものと考えています。この「反抗」は半ば無意識的かもしれません。しかし「音楽家側に自分の音楽を覚えてほしい」という自己主張をそこに読み取ることができます。
例えば「音楽形式の導入」がそうです。
ある楽曲は A-B-A、三部形式です。こうした場合、AとBとは対照的なキャラクターをとることが普通です。ここで一つ私が発見したのは「対照的なキャラクターA-B-Aを鑑賞するには、Aの部分を覚えてBの部分を聴かないと意味がない」ということです。この「覚える内容」というのはAの部分のキャラクターであるのですが、ここにきて「覚えてもらうようなはっきりしたキャラクターの音楽」が必要になってくるはずです。
つまり「対照的なセット」や「主題が発展していく」(それは変奏曲でもソナタ形式でも)など、「覚えてもらう」ことが前提になっているというはずです。
参照1
参照2
そうすると「ただその場の音響が気持ちよい」では済まなくなっている。
音楽家は「ただ気持ちいい」ではなく「様々な、変化のある作品を書くことにより、『己の音楽を覚えてもらう』という自己主張をしてきたのではないか」と考えています。
これを考えるだけでも「いかに演奏するべきか」のヒントになります。

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