練習の面白さと、理解しながら進むことの関係


この前のフェイスブックのリンクの中で「練習はどれだけすればいいの?」というのがありました。その記事の後のほうに「なぜ練習するのか?」というのがありました。
たとえば子供だったら「自転車に乗れるようになる」とか「逆上がりができるようになる」とか「縄跳びができるようになる」なんていう練習があり、私ももちろん子供のころ経験しています。(小さいころは、体の使い方を覚えるということもあり、これらのこととピアノの上達がリンクしていると思われることがよくあります。実はとても大切です)
さて、これらはすべて「できた状態をイメージしながら」練習しているのが普通ではないかと思います。その中で、「もうちょっとけり上げを早くしよう」だとか「ここで油断せずに踏ん張ろう」とか「この瞬間を逃さずに飛び上がろう」とか工夫するでしょう。
私は、ピアノの練習も同じだと思います。ある特定の練習をするときに、このことをするとどのような変化があるのか具体的に考えます。また、子供のピアノの練習も同じだと思います。(子供だからわからない、というのは大人の傲慢な考え方に過ぎません)
教師は練習の中で、様々な工夫を促すと言いと思います。また、聴くポイントを提示し、耳を傾ける。そのポイントについて結果が得られるように本人が努力、工夫する。
たとえば「一つ一つの音の形がまるいかな?」とか「同じ形をしているかな?」「4小節大きな山が書けているかな?」などなど。

私は、かなり初歩のうちから何も書いていない楽譜にフォルテ、ピアノ、クレッシェンドを書いてもらったり、スラーやスタッカートをつけてもらったりします。場合によってはペダルも工夫します。小1ぐらいの年齢の生徒でも、一生懸命考えます。「どう弾いたらきれいか」「楽しいか」などを聴きながら考えます。また、不思議とこれをすると指同士のアンバランスやポジションの悪さを、自然に直してしまうことも多いです。

理解し練習し、少しずつできたことを耳で理解し、考えて進む。目標を見失わない。このような「通常の物事を行うプロセス」は、ピアノ練習に関しても必須のことと考えています。これが崩れたのが常態化していたら、恐ろしいことに繋がります。「音」のことを忘れて「指の強さ」「手の形」に異常に執着したり・・・「今やっていること、これが何に繋がるか」、教師は責任を持って送り届ける義務はあります。でないと「盲人が盲人を手引する(聖書)」状態になってしまいます。

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