自然科学は詳しくないのですが、次に発表する文章の前置きのつもりです

天動説か地動説か、ここで問題になるのは「自分(観測者)」の立ち位置であるかもしれない。「自分が動かない」という説を堅持している間は、「惑星」(惑わす星)であった。それでは惑星は右往左往し、いかなる計算からも逃れてしまう。謎の星たちであった。
「自分が動く」と言う立場を受け入れると、たちまちそれは「惑星」ではなくなった。コペルニクスの後、ケプラーによって見つけられた法則は、単純明快であり、それは今私たちの生活を支えている。
「自分中心を基準にする」か「様々な基準を受け入れる」かによって、ものの見え方は全く違う。天動説は「自分の理解できる範疇」という狭さの中に「自然科学」を無理矢理押し込めた。「実際にあるもの」が「自分の理解の範疇」を超えているからと言って「自分の理屈」の中に押し込め、入らない部分を切り捨てた。
どのようなジャンルでも、そのようなことは発展を阻害する。
物事がわかるようになるかどうかは「自分が新たな基準を受け入れるかどうか」だと信じている。それには勇気がいる。

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