「ステージ(段階)を上げる」という考え方
先日、演奏を「上手、下手で聴かない」ということを発言しました。そこで疑問が出てくると思います。「いったい何をどのようにレッスンしていくのか?」
基本的に「ステージを上げる」という考え方で、レッスンができます。たとえば「ここの音の粒をそろえる」が目的ではなく「音の粒をそろえた結果、新たな表現が見えてくる」ということです。
様々なメカニック練習は「目的をもつ」から、たとえばスケールでも「粒がそろえばいい」だけでなく様々な音色、強弱で弾けるようにしていく。おそらく際限のない追求になると思います。
「ドミソ」の和音を弾いたとしましょう。3つとも同じ音の大きさしかできないとすれば、それはステージが低い。それぞれ3つの音の大きさをコントロールして、その場その場にふさわしい音色、響きをえらべるなら、ステージは高くなります。つまり「表現の手段を多く持ち、よりその場にふさわしい弾き方ができるか?」ということです。
もちろん、最初から「多くのステージを実現する」ことは不可能でしょう。でも指導者としては「多くのステージを実現するために、生徒の進路を妨げない」ことは必要です。
以前「2までのことを教えるのに、10までいける可能性を残すことが必要」といいましたが、このことです。
たとえば「伴奏は静かに」だけ徹底して教えてしまえば、その場はいいかもしれません。しかしその後伴奏部分にどのような美しいハーモニーの変化があろうと、無視してしまうでしょう。またフーガなどでただ「テーマだけを出しなさい」としつけてしまうと「対旋律」の存在が希薄になり、展開が聞こえてこない弾き方しかできないでしょう。つまり、日々のレッスンの注意も「先を見越して」行うことです。
「左手(伴奏)は小さく」→「左手は聞き役で」
「テーマを出して」→「対旋律はテーマに話しかけるように」など、10までの可能性を残した考え方で、普段のレッスンを進めていくべきでしょう。
ステレオタイプに、「伴奏(と勝手に決め込んだところ)をやたら聴こえなく」弾いたり、「対旋律との対話が無いポリフォニー」などは、「ステージが上がっていく」ということを想定しないレッスンから来ていると考えられます。参考はこちら
狭い表現方法の中で「小綺麗に」弾くのではなく、「表現の可能性を広げる」ことを積極的に行っていきたいものです。