「テンポを正確に弾きなさい」と「テンポを正確に弾くと、このようなことが聴こえてくるよ」

私は、基本的に後者のほうでありたいと思っています。この2つは、全く違うと考えています。

これを実行することは、指導者にとってすごい勉強になるし、新しい発見も多いです。
例えば「ベートーヴェンのソナタのこの個所は、なぜ正確なテンポで弾かなければいけないのか?」これに対し例えば「古典派だから」というのは説明として不足です。テンポを正確に弾くように曲そのものができていて、テンポが正確ではないと何が起こるのか。「曲の構造や仕掛け」まで見えてこないと説明できないです。当然、単に「ポリーニがそのように弾いていたから」などというのは、説明としては全く不十分におもえます。(もちろんポリーニはそのようなことを理解していると思いますが・・・・)
「天才」は、その時代様式の「縛り」と思われているものを。いわば逆手にとって「表現の手段」に変えています。もしそれを演奏者が読み込めないままだったら、単に「縛られた」演奏にしかならないことになります。

もちろん、これはテンポに限ったことではないと思います。様々な注意事項や「ゆっくり練習してみると、このような点に注意が向くよ」とか「ここでこのようなタイミングを感じると、ここの音の出し方が変わってくるよ」とか様々なレッスンでの注意事項すべてに言えます。

もちろん「全部説明をする」のは不可能かもしれませんが、指導者にはかなりの「見通し」があって「生徒にあることをしてもらう」のです。

これらの延長として、「このようなエクササイズをこれこれのためにやる」とかもあります。スケールや、手指の訓練的な練習もあると思います。

もし、何もなくただ「ゆっくり弾きなさい」では「命令」になってしまう。それにただ従うのは「服従」になってしまう。私は「ピアノを弾く、という現場に「命令と服従」を持ち込みたくない」のです。

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