「片手練習」の落とし穴
ピアノの練習で、「片手だけ」「ゆっくり」「リズム練習」よくおこなわれると思います。しかし、これらの練習も気をつけないとおかしなことになってしまいます。以下は 『岡田暁生 監修 ピアノを弾く身体 春秋社』の27ページ引用です
「与えられた曲はいつも片手ずつでまず練習させられていたことも、よく覚えている。片手ずつ、信じられないほどゆっくりのテンポから、メトロノームを使って、どんな音もまずは大きな「しっかりした」音で(「ごまかさない」で)、一つも間違わずに弾けるようにさせられるのである。頭を空っぽにして、何も考えずとも「間違わないで」弾けるようになって初めて、両手を合わせて弾くことを許されるのだった。これは当時の私には苦痛きわまりなかった。片手だけだと和声の文脈などがわからないので、最初から両手で弾くよりもかえって曲を理解するのが遅くなるような気がした。
それに静かな曲でも大きな音で「しっかり」指を上げて弾かされるのには、子供心に閉口した。本来速いテンポの曲をスローモーションのようにゆっくり練習しても、かえって作品の流れ(ゲシュタルト)が飲み込めず、練習の効率が悪いような気もした。」
私は、このような練習は次の点でまずいと思いました。
1.おそらくニュアンスも表情もない練習で、文脈としての音楽がわからなくなり、棒読みになってしまう。「耳と手」どちらもがその「非音楽的な棒読み」に「習熟」してしまう。
2.右手を練習しているとき、左手がどのように入るかわからないまま弾いている。「両手を合わせることを目標にした片手練習」とは言い難い。本来「片手」は「部品」であり「もう片手」という「部品」とぴったりくっつかないといけないはずなのに、そのことを想定せずに「部品」を作ってしまえば「両手」が合うはずがない。
どうすればいいか。私は、「譜読み」もレッスンの中で時間を割くべきだと考えています。その中で、ある程度区切って片手⇒両手⇒片手⇒両手・・・・片手の時は先生がもう片手を弾いて全体像を把握しながら少しずつ。生徒が「どのように聴こえ、音楽を理解して」いるかを探りながら、丁寧に「音楽の読み解き方」を教えていくべきだと思います。たとえば「今度はこの音に気をつけて右手だけ」とか、能力のある生徒には「右手を頭の中で鳴らして左手だけ」とか、その場その場で目標を与えてもいいと思います。
これには「マニュアル」はありません。「生徒が音楽を理解し、よい表現ができる」ことを忘れずに、その場に応じて目標を一回一回設定しながら練習するレッスン。これは先生の裁量がものを言うと思います。
このことは、「レッスンの友 2012年10月号」にモーツァルトのアレグロを使って説明しましたが、「レッスンの友社」は倒産して、本は手に入らないと思います。著作権に問題なければ、加筆、訂正の上ご希望者にはお送りします。
次回は「ゆっくり練習」の落とし穴について書きます。