ピアノのペダルは、ペダルだけでは終わらない

隅田先生のブログで「ペダル」に関する記述がありました。こちら
  私は、ごく初歩の教本で、ペダルを試しに踏ませてみることがあります。踏み方も習熟度に合わせてだんだん種類が多くなります。また、「タッチとペダル」の関係もあります。作曲家によってペダルの指示の仕方も違うし「書いていなくても踏むべきところ」や「使ってみる可能性のある箇所」など様々です。
以前、「レッスンの友 最終号 初めてのドビュッシー」で「ペダルで伸ばすべきことが明らかな音に対して、多くのコンクール参加者がペダルを踏んでいなかった」ことを書きました。
「ペダル」はたえず「タッチ」と関係していることを忘れてはいけないと思います。

前の続き・・・というより、いつもの主張ですね。
ピアノは「ダンパーペダル」の存在により、楽譜の書かれ方に2つの可能性が出てきました。
1.手が存在する時間と移動を、事細かに記す。また、ペダルの位置も細かに記す。
2.響いた結果を記す。ペダルは演奏者が判断する。
特にこのことは、ロマン派以降のピアノ曲に、問題になってきます。
1.は「方法」を書いたもので「タブ譜」的な考え方をピアノに持ち込んでいます。
2.は「結果」を書いたものです。
ロマン派以降、ピアノにとって「ペダル」が大きな存在になってきました。これは当然「楽器の発達」と関係しています。そこでショパンは明らかに「1」を選択したように見えます。また、同時代の他の作曲家は「折衷案」であったりします。リストは「2」の方法を多用することにより「オーケストラ的」な響きを楽譜に書いているように見えます。また、ドビュッシーはペダルの指示を書かずに「2」に徹したと言えます。
私が「疑問」なのは、ピアノの楽譜を見るときに、このような視点が欠けていると思われることです。これは、ショパンとドビュッシーの楽譜、2、3冊をちょこっと見れば「ひょっとして」と思う程度のことです。もちろん学術的には「精査」する必要はありますが、大まかでいいから「楽譜に書いていることはなんだろう」と疑問を持つべきじゃないんでしょうか。この点から「精査」することや「楽譜を読む」ことが見直されるといいと思います。

要するに「ピアノのダンパーペダル」に関しては、踏む、踏まないの問題だけでなく、タッチの問題、楽譜の記述の問題に関わってきているということです。

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