ピアノ教育への提言
・ピアノ教育のなかで「目的」と「手段」を教育者側が理解しているか、疑問に思うことがあります。たとえば「チェルニー30番」は何のためにやっていますか、ハノンやスケール練習は何のためにやっていますか?
・実際の楽曲の中で表情豊かに演奏するために、どのような技術や方法を使うべきなのか。またそれらの技術が練習曲の中でいかに抽出されているのか、教育者側はそれを理解し、妥協せずに伝えていくべきだと思います。
・以前、ベートーヴェンの協奏曲第5番を弾いたとき、「スケールとアルペジオのあまりの多さと多彩さ」を感じました。ということは、スケールやアルペジオは、この曲を弾くために練習されるべきなのでしょう。(もちろん他の芸術作品にも同じことが言えますが)そのように考えると、スケール、アルペジオ、ハノン、バーナムの練習のやり方が全然変わってきますし、チェルニー30番だってもう少し音楽的な表現を求めるようになるでしょう。
・いい加減「指が回ったら弾ける」的な発想は、やめにしようじゃないですか。指が回ったって出ている音には音色もなければ、ニュアンスもない。タイプライターみたいに「ダッダッダッダ…」と意味もなく羅列を発音しているように聞こえる。だいたいそんな音に慣れっこになったら、きっと音楽を聴く耳が鈍感になって、どうしようもなくなりますよ。