先日のレッスンから
先日のレッスンでは、中1の生徒が、ハイドンのソナタ ニ長調第3楽章を弾きました。Nr.50 D-Dur Hob.XVI:37その中で、83小節からの箇所が気になりました。(譜例1)
なぜ、Aの音を左右に分けて弾かせているのかです。
試しに、上のパートの楽譜を閉じて、下のパートだけを弾いてみましょう。(譜例2)
このパート譜だけを見て弾くと、休符に緊張を感じると思います。「うっ」というような突っかかりとでも言うようなものです。
おそらくハイドンはここで「お気楽にAの音を連続して弾く」ことを考えてはいなかったと思います。この部分はこの楽章全体の中で線が細くなり、緊張が増していきます。このような中で「まるで2つの楽器が最高の緊張を持って」Aの音を交互に弾く。そんな表現を望んでいたのでしょう。ですから間違えても「お気楽に」Aの音を交互に弾けばいい、というものではなさそうですね。弦楽四重奏で第2ヴァイオリンが第1ヴァイオリンと掛け合いで弾く、というのを考えてみるといいですね。。
以前、「合奏をモデルにした」を発表しましたが、この箇所でもこのアイデアが生きてくると思います。
そういえば、イベールの「物語」のこの曲も(岩清水を売る女 La marchande d’eau
fraîche)
このようなものとは明らかに違います。
作曲家は無意識のうちに(あるいは意識的にも)ピアノを合奏のように扱っていることは明らかです。ですから「受容する演奏者」も「合奏の模倣」として受け取る準備が必要、必須だと考えられます。参考1 参考2