2つの方法「やる方法」、もう一つは「やらせる方法
・ピアノに限らず、教師は2つの方法をもっていると考えられます。ひとつは「やる方法(こうすればできる)」、もう一つは「やらせる方法(やりなさい、やってきなさい)」です。
・私はもっぱら「やる方法」に専念しています。なぜなら「やらせる方法」というのは、危険をはらんでいるからです。たとえば、自己実現を相手においてしまったり、相手の自由な時間を奪い取ったりすることになりかねないからです。
・もし、本当に生徒に絶対的なやる気があり、生徒と絶対的な信頼が築ければ、先生は生徒と一つの人格となってあるものを追い求めていってもいいのかもしれませんが、幸か不幸かまだそれを希望するまでの生徒が私の前には現れていません。
・もっぱら「方法の模索と伝授」ということに専念し、生徒がそれを実現するかどうかは別の問題、と思っています。
・たとえば小学生の生徒がいたとします。その子の中では ピアノ10% 勉強40% 遊び30% 家族20%だとします。ピアノ教師がそのピアノのパーセンテージをあげさせたり、学校の先生が、遊びのパーセンテージを減らさせたりするのは、許されることなのだろうか。そんなことを考えてしまいます。
・だとしたらその10%の中で出来る方法を、伝えていけばいいのかもしれません。あるいは「やる方法」はあるところでは垂れ流しの言いっぱなしなのかもしれません。
・以前、ある講座で「やる方法」について説明していったあと、「どうすればやらせることができるでしょうか?」と質問を受けました。
・あまりに正統的かもしれませんが、生徒が自分で「やることに魅力と興味をもたない」ない限り、できないことだと思っています。教師はただ、環境をできる範囲で整えるだけです。むやみに煽ったり、あるいは親の虚栄心をかきたてたりするのは、倫理上良くないことで、必ずしっぺ返しが来るように思いますが・・・