正しい譜読み・ピアノ演奏は合奏の模倣である
こんにちは。
明石市魚住の大竹ピアノ教室の大竹道哉です。
本日もブログを発信していきます。
もう一度、レッスンの中で感じたことを書いていきます。以前書いた内容と重なっていることが多い(というよりも書き直しかも)と思いますが、自分の確認のためです。よろしくお願いいたします。
☆正しい譜読み・ピアノ演奏は合奏の模倣である
ピアノの楽譜はただ「時系列に従って音を出して」行けば読めた、ということにはならない。例えば、ドビュッシー 前奏曲 第1巻第1番「・・デルフィの舞姫」の例で、時系列のみで音を出していくと青線のようにジグザグになる。このジグザグは決して聞こえてはいけないし、そのような音楽を感じたり考えてはいけない。赤線のように音楽を感じなければいけない。手の動きは感じさせてはいけない。このようなことを「正しく認識する」のも「正しい譜読み」の一部である。
以前、私はバッハのオルガン曲のブゾーニ編曲に関する研究ノートを、大阪音楽大学研究紀要に載せた。
私は「バッハの平均律曲集とブゾーニによる自由作品のピアノ編曲、両者の演奏者に認められる身体に感じる音楽の違い」で、「手の動き、演奏者が実際に手を動かすことと、音楽の方向が一致しなくなる」ことを述べたが、このような「不一致」は非常に多い。
「仮想現実」として手が3つある、4つあるのような思考を持つ。そのようなことを「覚悟して」楽譜を読まなければいけない。すると、鍵盤楽器奏者にとって「ポリフォニー」は宿命である。
これは、「ペッツォルトのメヌエット」明らかに、上声、バスライン、内声のハーモニーが認められる。「自分の中に幾人もの人がいて合奏をしている」というアイデアは、ピアノ教育の初期の時期から考えていかないといけない、重要事項の一つであることがわかる。これにはどうしても「自分の中に複数の人がいる」という考え方にたたないといけない。譜例のようなインベンションの認識は、明らかに間違っている。
もちろん、幼児には「わかりやすい」言葉で(例えば「右手さん」とか「左手さん」とか、幼児の方がこのようなアイデアを抵抗なく受ける可能性は大きいかもしれない)言わなければいけない。
ピアノの楽譜を読む上で忘れてはならないこと
1.鍵盤音楽は基本的に「合奏の模倣」であるということ
2.よって「複数の人で演奏されている」ということを忘れてはならないこと
3.その「複数の人」の割り振りは、曲によって様々であり、手の動きと一致したり不一致であったりすること
4.これらのことは、比較的初歩の段階から、問題になり、指導者は慎重に判断していく必要があること
ピアノ演奏では「多数の線」を読むための「頭脳・思考回路」を準備する必要がある、ということである。