シューマンとリスト・・演奏会に寄せて
4月25日 新大阪 B-tech Japan でコンサートを行います
この度 新型コロナウイルスによる感染拡大防止策のため、4月25日に予定しておりました演奏会「大竹道哉・ピアノコンサート」延期させて頂くこととなりました。いつも応援頂いております皆様方には本当に心苦しく、とても残念ですが、これ以上の感染拡大の恐れもございますので、ご了承頂けましたら幸いです。
また、延期の日程が決まり次第、お知らせさせていただきます
大竹道哉
シューマンとリスト、1810年、11年生まれと、ほとんど同世代なのですが、それぞれ全く違った音楽家だといえます。シューマンは、音楽について積極的に文章にした人。リストは、ピアノ演奏家として活躍した人。2人の違いを列挙したら、きりがありません。
この2人の接点がシューマンの著作「音楽と音楽家」に記されています。リストはシューマンの同席していた演奏会で、シューマンの「謝肉祭」を弾きます。そしてシューマンはそれについて記述しています。
さて、このふたり、作曲した音楽の内容としても、全く傾向が異なります。シューマンは、一方は「自身の幻想」に、しかしもう一方は「古典的な枠組み」の中にいたと考えられます。メンデルスゾーン、ブラームスと同じ側です。
しかし、リストはこの古典的枠組みを一見壊すようなこと(しかしそれは再構築であったのですが)をしていきます。彼はまた古典的な和声や形式から逸脱していきます。
リストはシューマン、メンデルスゾーンらを「旧時代の人」というような批判もしています。両者の間にはギクシャクした雰囲気があった時期もあります。
さてシューマン「子供の情景」ですが、送られてきた楽譜を手にしたリストは、最大限の賛辞を書き記しています。「この上ない人生の喜びであり、自分の娘に聴かせたら毎日のように20回も弾かされた」とまで書いています。
「幻想曲」はリストに献呈されています。そのリストのたぐいまれなピアノの技術と表現力を想定して「ベートーヴェンの記念碑」としての意味も持って書かれています。
そして、その返礼としてリストはただ一曲の「ピアノソナタ」をシューマンに献呈しています。しかし、ソナタが書かれたころは、シューマン自身はもうすでに精神に異常をきたして、ものごとを理解することが困難になっていました。ピアニストであった妻クララは、この曲の内容に困惑を示し、どのようにお礼の手紙を書いてよいものか、と記しています。たとえ、シューマンが健康であったとしても、このリストのソナタを受け入れることができたかどうか?
私は疑問です。。
この当時、この曲は「無意味な蒸気機関の製粉機」などと揶揄されましたが、時間がたつと、その「聴き方」も聴衆がわかってくるものです。多くの人が「この曲はこのように聴けばよい」ということを言い、そのように聴いてみる。演奏家もそれを意識して表現する。そのようにしてリストのソナタも受容されてきました。