チャイコフスキー:四季4月松雪草です
こんにちは。
明石市魚住の大竹ピアノ教室の大竹道哉です。
本日もブログを発信していきます。
チャイコフスキー:四季4月松雪草です。
これは、音楽的には独奏楽器(Celloとか)とピアノの伴奏パートと考えるといいと思います。
ついつい、一本の線で何とかしようとすると、譜例③のように考えてしまう。
これで、メロディーの赤い音だけ大きく弾く、というのはどんなもんだろう?私は疑問を感じます。これは以前から指摘している「ジグザグ読み」「ぶら下がり読み」の一種です。「いくつかの異なった音のグループが同時に様々に存在する」ということを無視しています。「ピアノは合奏である」という発想そのものにも反します。
メロディーは音から音へ膨らんでつながっていく。音が伸びている間の意識がなくなってしまう上記の譜面では、「メロディーの音」は出せても「豊かに歌う」ということにはならないです。
譜例②を使ってCelloパートを歌いながらピアノ伴奏パートを弾くという練習は、とてもいいと思います。少なくとも歌うことによって「音から音へつなげる」ことに、注意が向いていくと思います。
のように、伸ばされた音は、膨らんだりしぼんだりするイメージを持っています。ピアノではありえないのですが、意識することによって次の音へのつなぎ方が変わってきます。また、ハーモニーも変化し、ふくらみやしぼみ、緊張と弛緩が交互にあります。それを細かく書くと、こんな感じでしょうか?
ハーモニーも独自に息づかいを持っています。譜例③のような発想では、表現が硬直し、拡がりが、かんじられません。
「歌うように」ということは難しいですが、少なくとも音が出てからその音の継続と次の音への受け渡しが、滑らかに曲線を描くようにいくといいはずです
さて、この曲の技術的な問題についてです。
以前、このような図を出しました。2015年2月19日
つまり、10本の指をそのパートによって、分離して考えるということです。
ところで「松雪草」の場合は、入れ替えがあるということです。
のように(もちろん人によってさまざまな指使いがありますが)グループが交代します。もちろんこの「グループの交代」は、音楽的には存在しないもの(譜例②のように響く)であります。「音になってはいけない」ことです。メロディーは、ゆったりした動き、ハーモニーは、リズムを細かく刻むのでこの交代は難しいです。
この赤と青との違いをどう考えるか。どのように実現していくかです。これは「円を描く丸の大きさが、違う」という感じになると思います。大きなサイクルで、ゆったり歌う赤□と、細かく繊細に、やさしくハーモニーを出していく、もちろんハーモニーの変化をさせていかなければいけない。本当に誤解なく説明するには、実際に「その場で見聞き」する以外にないと思います。