ルバートをめぐって
Rubato→盗まれた。
基本的に、一定のテンポは自然界の中、自分の体の中にあると思われる。通常は心臓、脈は一定のテンポで時間を刻む、時計の秒針も一定、歩くときもふつう一定の速さで歩く。
何もなければ「テンポは一定」というのが自然な状態だといえる。
それに対して「テンポをゆっくりする」というのは「何らかのエネルギーの変化」があるものと思われる。たとえば、曲の最後だったりしたら「推進力の減衰によって、曲の動きが止まろうとする」ということが考えられる。
しかし、ルバートは「盗まれる」
もともと「一定のテンポ」で進もうとするものを『盗む』のだ。
ショパン:バラード第1番の33小節は、ルバートを説明するのにわかりやすい。
4分の6拍子、左手は4分音符、一定の進み方。右手はそれに囚われずに「自由に」舞っている。
①今までと同じように、一定のテンポを保ち、ある程度推進力を持つ。
②跳躍と多くの音符を使った装飾により、時間を必要とする。一定の時間に入りきらない。
ここに「2種類のテンポの綱引き」があると考えている。
もしこれが「2つの楽器」あるいは「歌と伴奏」だったりしたらわかりやすいが、ピアノの場合はその「違うテンポ」を両方とも自分の中で感じなければいけない、ということ。
①は「一定のテンポを保とうとして弾く」
②は「テンポから外れて時間をとって歌おうとする」
その拮抗が、音楽の流れの中でのある種の「緊張」を生み出す。「危うさ」ともいえるものである。
いわゆる「名人」のルバートを(表面的に時間経過だけ)真似してもうまくいかないのは、ここではないだろうか?名人は「自身の中に違うものを同時に存在させ、拮抗させている。その結果テンポが遅くなる」というのを真似する人は「テンポが遅くなる」だけ「表面をなぞって」いるに過ぎない。
「自分の中に多数のセクションを設定して、それぞれが考える」という考え方を実行するのは難しい。しかし、一度そのような見方に移ってしまうと、多くの謎を解決することができ、表現の可能性も広がる。
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