ソルフェージュを使って
いままで問題にした「ジグザグ読み」や、「ぶら下がり読み」です。
これを防いで、より音楽的に正しく理解し、弾くためのエクササイズを考えてみました。
「歌う」ことが使えないだろうか?
ピアノという楽器はどうしても「音を出す瞬間」に気が行きがちで、音を出したらそのあと音の最後まで「聴く」ことがおろそかになりやすいです。上記の「ジグザグ読み」や、「ぶら下がり読み」も、出した音を最後まで聴き、次につなげる、という発想がありません。それによって「線」がズタズタになってしまう。
さて、そこで「歌う」を入れてみる
「歌う」場合 青、赤の線どちらかしか歌えない。また、①~③のように、ジグザグに行ったり来たりできない。
①~③のようにジグザグ読みしてしまったものを、特に左手パートを暗譜で(思い出しながら)歌ってみるといいです。これは、「読んだ音を頭の中で正しく再構築する」という作業ができます。「ジグザグ読み」や「ぶら下がり読み」は、ルートBにあたりますが、それを「ルートA」に引き戻すことができます。
「ジグザグ読み」や「ぶら下がり読み」は「ルートB」だといえます。正しく「理解してまとめる」のを経ないで、音を出しているからです。
ここで「ピアノを弾く」行為と「歌う」行為の違いについて、はっきり認識しておきたいです。なぜならそれを知ることによって「歌っているように弾く」ことがより具体的になり、演奏に役に立つからです。
歌う
・単声である。
・息を続けることにより音が持続する⇒音を伸ばすのに「積極的な行為」が必要
・発声してから音の強弱等の変化ができる
・音と音とのつながりを把握しやすい
ピアノを弾く
・多声である。
・弦をたたいた瞬間に音が発生し、減衰する⇒音を伸ばすのに「積極的な行為」がない
・発声してから音の強弱等の変化ができない
これで比較すると、弦楽器、管楽器は「歌う」のほうと同じ。つまり「ピアノは少数派に属する」
「ジグザグ読み」や「ぶら下がり読み」は、音楽的にはほとんど通用しないです。また、鍵盤楽器以外では、通常考えられません。ピアノ(鍵盤楽器全般)を「合奏の模倣」と考えるなら、これらは間違った見方になります。それは単に「人間は一つのもの、ことしか認識できない」という「自分に制限をかけた」やり方で「ピアノ演奏」を切り抜けようとするからです。本来は
のように、複数の楽器がそれぞれ「自立・自律」して演奏したものだと考えられます。
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2声のものを「歌いながら弾く」ということで、音の方向を認識できます。
エクササイズとしては、
1.両手で弾いて、どちらかのパートを歌う。
2.片手で弾いて、もう片方を歌う。
が、考えられます。指導者がどちらかを弾いたり歌ったりすることもあります。
モーツァルトの初期作品や、バッハの「マグダレーナの音楽帳面」「プレ・インベンション」などが、
よい練習になると思います。
また、2声聴音も「聴く」練習につながります。