シューマン:交響的練習曲のテーマ
シューマン:交響的練習曲作品13のテーマの楽譜
A、B、2つのものが出てきました。 の配置に注目しましょう。ご存知のように、シューマンはこの曲を初版1837、第2版1852と残しています。しかしこの問題の部分は初版、第2版の変更は、見当たりませんでした。以下の通りです
A:
・ヘンレ原典版(1837年版・1852版共通譜)
・ヘンレ原典版2007(1837年版・1852版とも)HN 248 • ISMN 979-0-2018-0248-0
・ザウアー版1925 Leipzig: Edition Peters, Ed.2313,. Plate 10429(1837年版・1852版共通譜)
B:
・ペータース原典版1980 Leipzig: Edition Peters,Nr.9515 (1837年版・1852版共通譜)
・クララ・シューマン1887 Leipzig: Breitkopf & Härtel,. Plate R.S. 51(1837年版・1852番とも)
・クララ・シューマン=ケンプ版1986 Wiesbarden: Breitkopf & Härtel, Nr.2668(1837年版・1852版共通譜)
この小節の .は、見過ごしてはいけない多くの情報を発しています。それは「シューマンは楽譜に何を書いたか」という根本に関わる問題を含んでいると考えられます。
1,Bは右手、左手それぞれのパートにが別につけられているということ。
このBからは、シューマンは、全体一括だけでなくパートによって別々の強弱や表情を、楽譜に書くということが読み取れます。ピアノでもパート別に様々な指示があります。つまり各パートが「自立・自律」していることになります。演奏者はそれを「受け取る」準備が必要です。この「受け取る」準備については、深く考察する必要があります。
2,シューマンにとって「強弱記号」が、単なる(物理的のみの)「強弱」ではない、ということ。
ピアノは一度打鍵されると、当然音量は減衰します。にもかかわらずここで全音符に を書いています。当然、物理的には「不可能な」指示です。しかし「不可能な」ことをなんとかしようとすることにより「間」や「呼吸」「緊張感」が違ってきます。
AとBを比べると、Bが圧倒的に緊張感が高い。つまり「シューマンのクレッシェンド」は「単なる音量」とみてはいけない。さらに拡張して考えると、シューマンは「強弱記号」によって起きる音の大きさ以外の様々な表情、情動を、強弱記号に託しています。演奏者側は「強弱記号」を「単なる音量」として読んではいけないことになります。
さてこの ですが、自筆譜を参照することはできませんでしたが、編集者、校訂者の気持ちを考えてみました。
編集者、校訂者がBの原稿をもらって「これは不可能だから」Aに変えることはあるかもしれませんが
Aの原稿をもらって「編集者、校訂者がわざわざ不可能な書き方Bに改める」ことは考えにくいです。
ちなみに1887年版クララ・シューマン版は、37年版、52年版それぞれ印刷してありますが、どちらもBです。
私が気になるのは「ヘンレ版」です。おそらく現在、原典版としてこの曲は、ほとんどこの楽譜が使われているでしょう。「ヘンレ版はBの自筆原稿をAに変えたのか?」上記の考察にある多くの重要な情報を、ヘンレ版はすっ飛ばしてしまった、としたらこれはもう原典版としては???です。
ここで、バレンボイムの動画を見てみると、もっとよくわかります。
シューマンは、「現実の音」よりも「空想の音」を楽譜に記した、といえます。実際には大きくならないが「大きくなる」ことを演奏者に想像させる。それによる「音が大きくなる」よりも「上位」の効果を上げることができる。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
今まで「日々雑感」で書いていることを応用したレッスンを行っています。
また、メールでのご意見ご感想、レッスンの相談等もお待ちしています
お問い合わせは m-ohtake☆iris.ocn.ne.jp(星を@マークに)あるいはFBにメッセージでお願いいたします。
特に、ピアノ、音楽を専門にされている方へのレッスンは、金曜日午前中と、土、日曜日に行います。
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A:
・ヘンレ原典版(1837年版・1852版共通譜)
・ヘンレ原典版2007(1837年版・1852版とも)HN 248 • ISMN 979-0-2018-0248-0
・ザウアー版1925 Leipzig: Edition Peters, Ed.2313,. Plate 10429(1837年版・1852版共通譜)
B:
・ペータース原典版1980 Leipzig: Edition Peters,Nr.9515 (1837年版・1852版共通譜)
・クララ・シューマン1887 Leipzig: Breitkopf & Härtel,. Plate R.S. 51(1837年版・1852番とも)
・クララ・シューマン=ケンプ版1986 Wiesbarden: Breitkopf & Härtel, Nr.2668(1837年版・1852版共通譜)
この小節の .は、見過ごしてはいけない多くの情報を発しています。それは「シューマンは楽譜に何を書いたか」という根本に関わる問題を含んでいると考えられます。
1,Bは右手、左手それぞれのパートにが別につけられているということ。
このBからは、シューマンは、全体一括だけでなくパートによって別々の強弱や表情を、楽譜に書くということが読み取れます。ピアノでもパート別に様々な指示があります。つまり各パートが「自立・自律」していることになります。演奏者はそれを「受け取る」準備が必要です。この「受け取る」準備については、深く考察する必要があります。
2,シューマンにとって「強弱記号」が、単なる(物理的のみの)「強弱」ではない、ということ。
ピアノは一度打鍵されると、当然音量は減衰します。にもかかわらずここで全音符に を書いています。当然、物理的には「不可能な」指示です。しかし「不可能な」ことをなんとかしようとすることにより「間」や「呼吸」「緊張感」が違ってきます。
AとBを比べると、Bが圧倒的に緊張感が高い。つまり「シューマンのクレッシェンド」は「単なる音量」とみてはいけない。さらに拡張して考えると、シューマンは「強弱記号」によって起きる音の大きさ以外の様々な表情、情動を、強弱記号に託しています。演奏者側は「強弱記号」を「単なる音量」として読んではいけないことになります。
さてこの ですが、自筆譜を参照することはできませんでしたが、編集者、校訂者の気持ちを考えてみました。
編集者、校訂者がBの原稿をもらって「これは不可能だから」Aに変えることはあるかもしれませんが
Aの原稿をもらって「編集者、校訂者がわざわざ不可能な書き方Bに改める」ことは考えにくいです。
ちなみに1887年版クララ・シューマン版は、37年版、52年版それぞれ印刷してありますが、どちらもBです。
私が気になるのは「ヘンレ版」です。おそらく現在、原典版としてこの曲は、ほとんどこの楽譜が使われているでしょう。「ヘンレ版はBの自筆原稿をAに変えたのか?」上記の考察にある多くの重要な情報を、ヘンレ版はすっ飛ばしてしまった、としたらこれはもう原典版としては???です。
ここで、バレンボイムの動画を見てみると、もっとよくわかります。
シューマンは、「現実の音」よりも「空想の音」を楽譜に記した、といえます。実際には大きくならないが「大きくなる」ことを演奏者に想像させる。それによる「音が大きくなる」よりも「上位」の効果を上げることができる。
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