ピアノで「歌う」ことについて
おそらく、最も重要なことだが、書くのが難しい。「歌いなさい」と先生が生徒に言えても「では、どうすればいいのですか?」ということになってしまう。
「歌う」というのはおそらく「のびやかに声を届けたい」ということだろう。人間の本能や呼吸と関係していると思う。出した声が延ばされて拡がるイメージを持っている。そこから考えると曲の中で「どこに拡がりがあるか」を見つけて、そこに表現のポイントを置けば「歌う」表現のヒントになる。「歌う」というのは、「音に息を注ぎこむ」と定義すればいいのではないか?
・「ピアノ」と「歌う」
「歌う」ことは「ピアノには苦手」なことである。ピアノは「叩く音」であり「物理的に音は出てから時間とともに減衰する」宿命から、逃れることはできない。ピアノを「道具」としてみた場合、人間の「手の延長(打楽器)」なのか「声の延長(弦楽器)」なのか問題である。ピアノの使われ方を見ると「声の延長(弦楽器)」のほうが圧倒的に多いと思われる。チェンバロも「弦楽合奏の模倣」として演奏されていた。私は、ピアノは「機構的には打楽器(手の延長)」「使われ方としては弦楽器や管楽器(声の延長)」だと考えているピアノで歌う場合、自分から楽器に向かって動き(息)を伝えるようにしている。
ここで一つ重要な注意、「自分が動くのではない。楽器に動きを伝える」のである。多くの「ピアノ演奏時の無駄な動き」はこのことが理解されていない時におきる。「自分が動くことによって心理的な満足」や「自分が動いても音に反映されないので、さらに大きく動いてしまう。力が入りすぎる原因でもある」これに対し、教師は「生徒の動きを止める」のでなく「楽器に動きを送る」ように流すのが理想である。というのも演奏者は「表現したい」から動くのであって「止める」ことは「表現したい気持ちを止める」ことにつながりかねない。
・「旋律」だけを歌うのか?
いわゆるヨーロッパ音楽は「機能和声」によって発達した。だから「機能和声」の基本である「カデンツ」の中に「テンションの変化」がある。①「テンション(緊張)の高いところに膨らみを持たせる」曲をよく観察してみると「メロディーと伴奏」というとらえ方よりも「カデンツの進行」ととらえたほうがよいケースが多い。②つまり「カデンツを歌う」ことをしないと「無表情」に聞こえてしまうのだ。譜例は、ハーモニーだけで推移している例である。また、ハーモニーの変化がリズムを作っている。
日々雑感を拝読させて頂き何回か投稿しています
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先日、指が固まって朝、動きにくくなりました…[E:sweat02]
整形で腱鞘炎との事
…
ピアノを弾いて腱鞘炎になってる人もいますが、どんなに練習しても腱鞘炎とは無縁だったのに… ショックです[E:despair]
そう言えば、無茶な練習をしてたかなぁ
いきなりショパンエチュードを七曲、近代曲を三曲ショパンバリエーション一曲を休憩なしで練習してました
何ヶ月も…
意味ない練習していたかもしれません
姿勢や脱力も出来てなかったでしょう
気づかず無駄に時間だけ経って手に負担をかけてしまいました。
医者は弾かないようにとの事、一週間弾いてませんが弾きたくて楽譜を眺めて頭の中で弾いてます
朝、ピアノにさわりゆっくり丁寧に小さな音で弾いてみました。
私の場合元々痛みがない腱鞘炎なのでついつい時間が過ぎてしまい二時間弾いてました[E:sweat01]
腱鞘炎の場合
どんな練習をすればよいのでしょうか?
又、いきなり曲を弾くのはいけない事ですか?指ならしの教本など大竹先生ご自身は何を弾かれ、どういうことをされてますか?
松風ギャラリーの子供さんの勉強会にお邪魔させていただいた時
先生は冒頭だけでも何曲か説