ピアノ弾きの孤独
・ピアノという楽器は、基本的には一人で弾きます。もちろん連弾や室内楽、伴奏などがありますが・・・・・
・ついつい孤独になりやすいし、一人でやっていて「これでいいのだろうか」なんて考えてしまいます。でも、楽譜を前にして「音楽」という「人格」があることを忘れてはいけない。ってふと気がつくことがあります。
・「楽譜」は「デジタルな情報」にすぎません。でも、その楽譜を書いた人に思いをはせると、変わってくるかもしれない。ひょっとしてその「紙の向こう側」の人ってベートーヴェンとかモーツァルト、バッハ、ショパンとかいう人たちですけど、「孤独」と闘いながら「五線紙におたまじゃくし」を埋め尽くしていったのでしょう。そう考えるだけでも、少し救われるかも、と思っている今日この頃です。
大竹先生、こんばんは
大竹先生、こんばんは
2回目のコメント書き込みをさせていただきます。よろしくお願いいたします。
ピアノ弾きの孤独・・・、これも私も多少ともたしなんできただけに、理解できるお話でした。
演奏そのものは弾くたびに変化があり、同じ曲でも2度同じ引き方はできません。
それは、その時々の精神状態が変化するからでもありますが、それだけでなく、その楽曲の自分なりの解釈が微妙に変わったりすることもあるからです。で、これこそは私はピアノという楽器や弾く作品、その作曲者などとの対話の本質になるんじゃないだろうかとまで思っています。
<クロイツェル>を書いたときのベートーベンや<楽に寄す>を書いたときのシューベルトの思いを想像しながら弾くということもまた、音楽の楽しみですね。