譜読みに関する考察・ぎなた読み
・このことはレッスンでいつでも言っていますし、HPでも以前に書いたことがあります。もう一度はっきりさせたいのでブログに書かせていただきます。
・タイトルにある「ぎなた読み」は、正しい?日本語ではないので、知らなくても良い単語です。(ウィキペディアの例文には公序良俗に反すると思われる例文もあるので注意)
「弁慶が、なぎなたを…」というところを「弁慶がな、ぎなたを」と言ってしまったことにあります。
ところで、初めての曲を見るとき、このぎなた読みをしていませんか。僕はよくレッスンでまだ見たことのない新しい曲の数小節を、ゆっくり弾かせることがあります。その時、生徒を観察していると、音だけあっていればOK、リズムやフレージングに無頓着であることが多いです。たとえば
- べんけいがな ぎなたを・・・
- べんけ いがな ぎなたを・・・
- べん けいがなぎ なたを・・・
- べんけいがなぎ なたを・・・・
というように繰り返したりします。
これで頭に入るわけがないし、きちんと読めるようになれるはずもないわけです。
よく、ピアノの先生は「譜読みは自分の責任、おうちでやってらっしゃい」ということになり、次の週のレッスンでたとえば上の4番を弾いたとしても、音があっているということで、〇と考えます。「べんけいがな ぐなたを」といったところで、「ぐ」の文字に赤丸を付けるといった感じです。
このことに大変疑問を感じます。生徒が「弁慶が なぎなたを」という正しい文節を読み取ることを、先生は責任を持って指導するべきではないでしょうか?
少なくとも、日本語で文節をでたらめに話されると、ものすごくおかしな感じがするとおもいます。たとえばある日突然、周りの人間が、すべてでたらめな文節、抑揚で日本語を話し始めたら、あなたは一日で気がくるってしまうでしょう。
そこで僕の疑問です。ピアノで文節や抑揚のおかしなもの(フレージングやカデンツのまとまりなどのおかしなもの)を一日中聴いていると、「気が狂う」ほどのことでしょうか?もしそうでないとしたら
- キチンと演奏を聴いていない
- このようなことに鈍感になってしまっている
- もともとフレージングやカデンツに興味がない
とまあこんなことになります。
・このように書いてみると、とても重要なことです。後回しにしてはいけない。後回しにするとなぜ絶対いけないかは、後日書かせていただきます。
・とても重要なことなので、皆様のコメントをお待ちしています。