「譜読み」とは「音を読む」のではなく「音楽を読む」ことである
たとえばモーツァルトのピアノソナタK.330の出だし。1のように弾いたら、おそらく何を弾いているか弾いている人にも理解できないであろう。
本を読むとき文字だけ読んで、文章をつなげずに意味を理解しようとしない人はいないだろう。往々にしてピアノでは「音の羅列」だけで「譜読みをした」ということが見受けられるが、「音の羅列」=「文字の羅列」である。文字の羅列は10分も話していれば、気が変になるだろう。(やったことはないが・・・)ということは「音の羅列」を弾いている間に音楽の感覚は麻痺してしまう。
「楽譜を読む」ということはそれぞれの音の動きを読み、つながり、まとまりを読み、響きを読み、間を読む。それらをどのような動きでピアノに伝え、どのような音がそこで求められているのか読み取ることである。当然、「その個所で要求されているタッチ」などを読み取ることも含まれている。
ここで「音楽と技術」が切り離せないことに気がつく。「岡田
暁生:ピアニストになりたい! 19世紀
もうひとつの音楽史」によると、ピアノのメカニックと音楽が切り離されてしまった様子が記されている。本来「音楽と技術」は切り離せなかった。切り離してからおかしなことになった。むやみやたらな「ハノンの練習一時間」とか「指の筋トレ」とか・・・・・
それはともかく、「譜読み」は「音楽を読む」ことであり、「どのような音、響き、リズム」を要求されているかを読むことであり、そのために「どのような技術を使ってピアノに動きを伝えるか」を読み取ることであり「出てきた音が音楽かどうか」を読み取ることである。そう考えると、全く変わってくる。