中低音から音楽を見る その2
前の記事の具体例です。ちょっとでもこのように頭の中で考えるだけで、楽曲の見方が変わってきます。
ショパン:バラード第2番 譜例1 まさに弦楽室内楽のような書法だといえます。たとえばチェロパート(青線)やヴィオラパート(赤線)に従って頭の中でならしてみるだけでも、見方が変わってきます。チェロだったら「上の人は、どのように自分の上に音を乗せてくるだろうか?」とかヴィオラだったら「チェロにうまく乗っかって、上声のサポートをしなければ」などと考えるようになります。
この室内楽的にな書法、後半になって 譜例2 注目したい部分があります。このバスが消えた途端に他のパートは「不安定な和音」へと移行する。つまり各パートが「お互い聴きあい、バスという支えを失い、不安な気分に移行する」という「各パートそれぞれの意思」が感じられます。
このようにみると「ショパンという作曲家はピアノというものを広い視野で展開していった」作曲家に見えます。ショパンの他の作品にも、同じようなこと、似たようなことは山ほどでてくると思います。
さて、今度はバッハ:平均律第1巻第1番プレリュード。譜例3 ついつい「ドミソドミソドミ」とだけ考えてしまいますが、このバスを「チェロ」と思うと途端に音楽は一変します。譜例4 のように「長い音、音の最後まで気持ちを抜かない」ようになるでしょう。「上に乗せられる和声がより丁寧に弾かれる」ことにもつながります。
このように「あるパートの演奏者になりきって、ピアノ曲を見てみる」のは有意義であり、今まで見えていなかった音楽の表情やまとまり、展開が表れてきます。「弾き方も立体的になり、お互いのパート同士のコミュニケーションが見えてくる」ことになります。