「しつけとしてのピアノ」を超えて

・最近、「ピアノを弾くためのモチベーション(動機づけ)」についてよく考えます。「ピアノに向かうとき、どのような思いがその人を動かしているか」です。

・そのような中で「親に言われたから」とか、「単なる習慣」というのが存在すると思います。もし、モチベーションがこれだけだったら、「どんな弾き方でもいいから10回弾けばいい」になってしまいます。

・私が「しつけとしてのピアノ」という言葉を出してきたのは、そのような「言われたから」や「習慣の練習」は、「心のうち」から「よりよい演奏をしよう」という考えなしにできてしまう、ということだと思います。

そこに「競争」を持ち込んで、「何とかさんよりも上」ということを考えます。確かにその場は上達するかもしれないけれど、どんなもんでしょうか。はっきりいって「その場しのぎの音楽」・・・・

・仮に、「しつけとして」ピアノを始めてしまっても、あるいは「競争」の中でピアノを弾くことになっても、音楽が語りかけてくることに、気が付いてほしい、と常々考えます。同じ十回弾くのでも、一回一回を大切に、耳を澄ませて、楽譜を通して語りかけてくる作曲者の思いと対話しながら・・・

・「楽譜の中から肉声で語りかけてくる作曲者の声」と共にありたい。「それを聴く」ことが、演奏の本当の「モチベーション」でありたいな、と思っています。

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「しつけとしてのピアノ」を超えて” に対して2件のコメントがあります。

  1. たーぼ より:

    大竹先生、はじめまして
    大竹先生、はじめまして

     私も子どもの頃からピアノに親しんできた一人として、先生のお書きになられていることに共感する思いです。
    実際のところ、弾きたいと思うときの感情・情動については何かしらの背景が理由になります。
     私の場合は、精神的に落ち着いた時間を過ごしたいというのが今は一番にあります。でも、弾き始まると、弾く行為を通してその楽曲と対話している自分がいることに気付きます。そして、これが自分なりに精神的な安らぎに繋がるという具合になっています。

    先生が「楽譜の中から肉声で語りかけてくる作曲者の声」と共にありたい。「それを聴く」ことが、演奏の本当の「モチベーション」でありたいな」と仰っておられたことそのものに私も大いに共感した次第です。

  2. おおたけ より:

    たーぼ様、ご投稿ありがとうございまた。今日思っ…
    たーぼ様、ご投稿ありがとうございまた。今日思ったのですが、小学生の生徒がはじめてメンデルスゾーンやバッハ、ショパンと出会ったとき、これらの曲が、その生徒にとって一生の財産になるといな、と思いました。
    目先のこともあるかもしれませんが、「作品」が、人格を持ち、対話できるといいな、と思います。

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