自分で楽譜を読むことの大切さ・くどいけどもう一度
以前「生徒の理解を超えたことを生徒にさせる事の危険」についてかいたことがあります。実際に音楽を専門に勉強している人で「自分の弾いている曲が、明るいのか暗いのかさえわからない」という人が何人もいる(これ本当なんです。決して少ない人数、特殊な例ではありません)のを知っています。
これがどこから起こるのか。それは「譜読み」から始まっていることに気がつきました。
最も悪いケースは、親や先生が「ドレミ」を読んで、生徒にただその鍵盤を順番に叩かせる。そして、順番に(強くだったりすることが多い)叩けたことで、まるにすることです。子供にとって頭の中では「順番に鍵盤を叩くと親は(先生は)機嫌が良い」ということだけ学習します。(出ている音は、はたから聞くと羅列にしか聞こえない)そしてピアノで「音の羅列」を弾いているあいだに「耳は壊されて」しまいます。また「手は羅列を弾く動き」を覚えてしまいます。
私は「音符を一つ一つ自分で読み、それをつなげたり重ねたりするとハーモニーやメロディーができてくる」ことを生徒に知ってほしい。譜読みは「そのことを知る」行為です。もっと言うと「作曲家が一つ一つ音符を書いて積み重ねていった」ように私たちは楽譜を読むべきでしょう。そうすると「作曲家の気持ちやその変化」も見えてきます。この行為は「他人に変わってもらうことはできません」だからこそ「譜読みの方法」を先生は生徒に教える義務があります。
。(レッスンの友2011年10月号掲載記事・譜読みをレッスンする1 譜読みをレッスンする2)
本当の譜読みは「本を読むのと同じ」「自分で字を読み、それを単語にして文章にして意味を把握し情景や気持ちを感じる」ことで、これらを「切り離して」行うこと自体ナンセンスです。これを心機一転、新しい曲にあたる時に実行していくと、新しい世界が見えてきます。
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