ベートーヴェンのソナタ・・・・・
私は、ベートーヴェンには「同時に相対する曲を2曲書く」ことがよくあるように思われます。それはナディアブーランジェが(あっまた影響されている)
次のように述べています。
**************
ベートーヴェンのピアノ・ソナタの一番を例に取れば、「ド、ファ、♭ラ、ド、ファ、ラ」そこには第九のシンフォニーに私たちを導く悲劇的な色合いが濃厚です。それが二番のソナタを見ると、突如「ラ、ミ、ミレドシラ……」 コメディア・デラルテが登場します。どちらも同じベートーヴェンですが、ある時は右を、またある時は左を見ているのです。
**************
そこから、ベートーヴェンのソナタを厳密ではありませんが次のようにグループ分けできないか?と考えてみました。。
ほかにもあるかもしれないので、考えられた方はコメントください。
まず、この小さな2曲は対になっています。
第19番
ト短調(やさしいソナタ)Op.49-1(1798年)
第20番 ト長調(やさしいソナタ)Op.49-2(1796年)
1番と2番が対比であり、3番はまとめとして大きな規模である。
第1番 ヘ短調 Op.2-1(1794年)
第2番 イ長調 Op.2-2(1795年)
第3番 ハ長調 Op.2-3(1795年)
Op.2と同じ構成で3曲セット
第5番 ハ短調 Op.10-1(1798年)
第6番 ヘ長調 Op.10-2(1798年)
第7番 ニ長調 Op.10-3(1798年)
実験的な構造上の対
第13番 変ホ長調「幻想曲風ソナタ」 Op.27-1(1801年)
第14番 嬰ハ短調「幻想曲風ソナタ」(月光) Op.27-2(1801年)
16番と17番のキャラクターの対比
第16番 ト長調 Op.31-1(1802年)
第17番 ニ短調「テンペスト」 Op.31-2(1802年)
第18番 変ホ長調 Op.31-3(1802年)
私は、21番と23番がキャラクターの対になっていると考えます
第21番 ハ長調「ワルトシュタイン」Op.53(1803年)
第23番 ヘ短調「熱情」 Op.57(1805年)
この3曲はセットであり31番と32番が対
第30番 ホ長調 Op.109(1822年)
第31番 変イ長調 Op.110(1822年)
第32番 ハ短調 Op.111(1822年)
ピアノ協奏曲第4番と第5番も・・・・
厳密ではないのですが、相対するキャラクターの作品を書くことは、よくあることなのではないでしょうか?ベートーヴェンの場合は、片側だけが評価されすぎているのかもしれません。交響曲5番と6番は、同じ日に初演されましたが、5番の方が一般に「ベートーヴェンの顔」として見られているのでは・・・
作品番号が同じで組になっている作品は、モチーフ…
作品番号が同じで組になっている作品は、モチーフが共通で、性格が異なる、というのは、おっしゃる通り明確ですね(例・ヴァイオリンソナタOp.30の3曲、その他多数)。
スプリングソナタと、その前のa-mollは、ホントは一組だったけど、何かの事情(出版社?)で別番号になったはず。。。
ちなみに、5曲のチェロソナタは、5曲全部で大きな一つの作品になっています。シンメトリーになっていて、その真ん中が、3番ソナタのスケルツォ。そう思うと、あのスケルツォのしつこさがすこし理解できるかも。そしてその次に来る Adagio
が、より深く感じられるかも。
シューベルトの最後の3つの遺作ソナタは、明らかにベートーヴェンのOp.109,110,111の3曲を意識してますね。ご両人とも、共通モチーフを使っての、異なった性格の曲。
・・そういう話、尽きないです。。
河野美砂子様。コメントありがとうございます。こ…
河野美砂子様。コメントありがとうございます。このような視点を持つことにより、より深く芸術作品を知る、鑑賞することができると思います。
シューベルトの最後の3つのソナタはたしかに、モチーフにもベートーヴェンを意識している部分もありますね。
作曲家が意識的にこのように構成した場合と、無意…
作曲家が意識的にこのように構成した場合と、無意識的になってしまった場合と両方あると思います。「1人の人間の中にさまざまなキャラクターが存在する」のだから、このようになるのもとうぜんかもしれません