井上直幸先生「ピアノのおけいこ」について 深水悠子先生の論文から

先日「日本のピアノ教育史」を研究されている、深水悠子先生とお会いしました。先生はかつてNHK教育テレビで放送されていた「ピアノのおけいこ」という番組について、論文を書いていらっしゃいます。特にその中で、井上直幸先生のレッスンに、言及されています。深水悠子先生の論文を引用しながら考えていきます。

論文はこちらです

私は、この論文を読んで、井上直幸先生の「ピアノのおけいこ」のレッスンの中に、彼の師匠である大島正泰先生エディット・ピヒト=アクセンフェルト先生の影響を見て取りました。それは、私たちが「ピアノを弾くこととは何か」ということを深く考えるきっかけとなると考えます。

「テクニック偏重と言われてきた従来の方法とは異なり、テクニックと音楽表現を結びつけて指導していたこと、さらに独自の練習方法を示して、テクニックを身につける方法を伝授したことが特徴として挙げられる。従来テクニック習得のために使用されてきた、そして井口基成が基礎の練習に導入していたハノン教則本について、井上は「ハノンはあまり好きじゃない」と番組で言っており、その理由については特に発言していない。ただ、ハノン教則本は指のトレーニングのための短いフレーズの繰り返しや、音階、半音階、アルペジオ、トリルといった音楽的な展開が削ぎ落とされた練習曲で構成されている上、一般に音楽表現と切り離して指導されることが多かった。」(論文54ページ)

これには、説明も必要だと思います。当時、桐朋学園では「ハノンのグレードテスト」というものがあり、ハノンを暗譜して指定のものを弾くというもの。私自身も「桐朋学園子供のための音楽教室」で、このハノンテストなるものを数回受けました。実際の楽曲にはない「極度にパターン化された」音型の練習に陥って、ついつい考えずに弾いてしまいます。

それに対し、大島先生は「バーナムピアノテクニック」というテクニックの習得の楽譜を翻訳されています。この本は、かなり初歩から「様々なパターン」や「音楽の基本になるカデンツ」や「様々なリズム」「ペダルの使用による響きの構築」なども網羅されて、より多面的に、音楽的、実践的に、どのように弾こうか考えながら、レベルに応じてピアノのテクニックを習得するテキストだと言えます。大島正泰先生が、井口基成先生の弟子であったにもかかわらず、師匠のやり方に疑問を持った、あるいはもっとテクニックに音楽的な、多様性を求めていたのではないかとも考えられます。

「井上は『ピアノ奏法』の中で、テクニックと音楽表現を結びつけることについて次のように語っている。

良い演奏というのは、「指」(テクニック)が先行しているわけではなくて、「イメージ」が先行しているものだと思います。つまり、「こういうふうに弾きたい」という意志──その曲に対する、曲全体の大きなプランから、瞬間瞬間の(今、弾こうとしている)部分までの構想──が、まず先にある。頭で全体のイメージを描き(=考え)、それを音にする(=弾く)、そしてイメージしたものに近いかどうかを聴く。……僕の先生のピヒト=アクセンフェルトさんがよく言っていたことですが、演奏というのは、この 3 要素で成り立っていて、たとえばこんなふうになっているものではないでしょうか。」(論文55ページ)

これは、演奏の場としては「同時に多層的に」行われることだといえます。

私が以前、演奏中の時間経過として出した図の「次の準備」は「まだ現実に行われていないこと、ここにおける「イメージ」であると考えられます。過去に私が書いた図です。↓

つまり、ピアノを弾けるようになるということはこれらのシステムを構築することが要求されてきます。また、その頭の中のことが、実際の手指等の動きと結びつき、楽器へ伝えられ、その結果出る音響と、それを聴きさらに次のことに生かすという「循環のシステム」が必要だと考えられます。

井上直幸先生は、桐朋学園で行われていた一連の「ハノン」の練習等がこの3つのうちの「弾く」だけに極端に特化し、ピアノを本来演奏するということの「イメージする・弾く・聴く・この3つのつながり」を断ち切ることに、懸念を抱いていたのだと思います。また、井上氏の師匠の大島正泰先生は「ハノン」というパターン化された教材ではなく「バーナムピアノテクニック」などを通じて「よりピアノ演奏を生きたものとするためのテクニック」を提唱されていたのだと思います。ですから、自信を持って「ハノンはあまり好きじゃない」と言えた。よりよい音楽表現のための手段、方法を知っていたので、テレビで公言できたのだと思います。

また、井上直幸先生は、ポリフォニーを示すために、オルガンをスタジオに持ち込んでいます。

フィッシャーによる《プレリュードとフーガ》第 5 番について、井上は「音は素朴な音、木管みたいな」と言い表した。またオルガンをスタジオに持ち込み、試奏した回では、「僕、今弾いていて思ったのだけどね。こういうフーガを弾く時にフーガの主題、テーマの形(を)非常にはっきりさせなきゃいけないのだけど、あんまり強調されすぎても良くないのね。僕、時々こういうピアノを聴くのだけど(テーマを明快にわかりやすく弾いて)、今の演奏はオルガンではとっても(演奏)できない。(オルガンの音は)同じ大きさだから。テーマばかり(強調して)弾くのは考えもの」と、作品の時代背景や使用していた楽器を踏まえて演奏するように諭した。」(論文57ページ)

ここで私は、ピヒト=アクセンフェルト先生の影響も感じました。アクセンフェルト先生は、ピアノだけでなくパイプオルガンやチェンバロの名手であったことがよく知られています。(多くのチェンバロのレコーディングや、カラヤン・ベルリンフィルのバッハ・ブランデンブルク協奏曲でのチェンバロを聴くことができます)

このシーンでは井上先生は、よく日本のピアノ教育で「バッハはただテーマ(と思っているところ)だけを目立たせて出して弾く」というやり方に、一石を投じています。ただテーマだけを出していたのでは、その箇所のハーモニーや対旋律との協調や緊張感が聞こえてこない、結果、曲の持つ展開が見えなくなることがおきます。

ところでなぜ、日本のピアノ教育では、テクニックが音楽表現と切り離されていたのだろうか。またその過去は現在のピアノ教育にどのような影響を与えているのか。

いくつか考えられること。

1.西洋音楽に対する不安

日本は、西洋音楽史の現場になったことが、全くなかった。ベートーヴェンもバッハもモーツァルトもショパンもリストも、日本文化とは関係のないところで活動したことは言うまでもありません。だから「音楽の内容や表現のありかた」に極度の不安を持っていたのでは、と思います。それは今でも、日本の音楽教育の中に残っています。そのために「音楽的なこと」は後回しにして、目に見える「指の動きの速さ、スピード、滑らかさや正確性」だけを切り離してやっておく、という考え方が出てきたのではないだろうか?と考えられます。

2.効率の良さを求めて

多くの人が効率よくできるようになるには「ものごとをできる限り切り離し、パートごとにやっていく」ことがより早くできると考えられます。工業化された考え方では「流れ作業的のように、ものごとの切り離し」によって効率を得ます。そこで、社会的に単調な同じ動作の繰り返しが求められます。これが、ピアノ教育に入り込み、「切り離してはいけないこと」を切り離してしまったのだと思います。

一般的に日本のピアノ教育は

・先生が「こうしなさい」というのが多い。これは、先生にとって楽である。生徒の理解や、納得をすることとは関係なく進めていくことができる。

・テクニックだけ切り離して同じパターンをただ繰り返すのは、見た目わかりやすい。これなら、だれでもできる。また、指導者の負担も少ない

・たくさんの旋律のうち「これだけ出せばいい」ならば、テクニック的にやりやすい。音が混濁したり考えが混乱したりしない。

なるべく一見わかりやすいやり方に傾いていたのではないだろうか。つまり「楽な誰でもできるこれさえやっておけばOK」的な道で何とかしのごうとしていたのではないだろうか?

井上直幸先生がこの番組で語ったことを、より真摯に受けとり、私たちのピアノ教育に還元していくには、今まで安易に当たり前のようにやっていたことを「本当にそれが、音楽のあるべき姿か」ということに照らし合わせ、基本から変えていく必要があると考えています。

場合によっては「長年先生に言われて厳しく教育され身についたこと」も熟慮の末捨てて、変えていかなければいけないこともあります。指導者なら、昨日まで生徒に教えていたことを変えなければいけないということも起きてきます。また、新しいことを身に着けるのに、時間がかかることもあります。

深水悠子先生は、創刊当時の「レッスンの友」を探しています。
この雑誌は、私も創刊号を探しましたが、大阪音楽大学の図書館や、国立国会図書館にもありませんでした。

「レッスンの友」(創刊時編集長:河村昭三)というピアノとヴァイオリンのための雑誌をご存知でしょうか。1963年から発行されていた雑誌で、ほぼ定期購読のみで販売され、一部、YAMAHA銀座、池袋、渋谷の店舗で売られていました。創刊時は家庭芸術社という会社でしたが、後にレッスンの友社と社名を変更し、2012年会社の倒産に伴い廃刊となりました。
定期購読という流通の性質から、創刊当時の「レッスンの友」をなかなか探し出すことができず、大学図書館の保管で一番古いものが1964年9月号、国会図書館でも1968年以降のものしか保管されていない状況です。会社が倒産してしまったことから、「レッスンの友」の関係者の方にも「おそらく探すのは不可能」と言われています。
もし、お手元に1963年11月号から1964年8号までの「レッスンの友」がございましたら、研究の資料として拝見させていただけますと幸いです。拝見後に返却させていただきます。

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