ピアノの楽譜は
こんにちは。
明石市魚住の大竹ピアノ教室の大竹道哉です。
本日もブログを発信していきます。
・シューマンの場合:まず、次の楽譜をご覧ください。
交響的練習曲 作品13第2版 ※
ピアノソナタ 第3番第2楽章 第2版
シューマンは、全音符ひとつに
を書いています。音量的には実現不可能です。
さて、私はレッスンで「矛盾した指示」を出すことがあります。その一つに「長い音に
を感じる」ということがあります。
ピアノという楽器は「音を出したら減衰していきます」これは、オーケストラの構成楽器を見てみると、打楽器とハープぐらいなものです。ですからこの特性はいわば「楽器の中では少数派」であるといえます。
さて、ピアノを弾いている人に多く見られるのが「伸ばしている音に対する注意力がなくなる」ということ、よくバッハなどでは「オルガン点」と呼ばれる長い音がある。これを伸ばして和声の支えにしてなおかつ、次の和声の変化につなげなければならない、このような音は「つい意識から離れて、音を切ってしまったり、ほかの声部にかき消されたりする」ようになりやすいです。そのようなとき、よく長い音にこれをつけて考えます。
音が大きくなるわけではないが「音が大きくなるように」という意識を集中し、音の継続に対してとりわけ注意を払います。すると、次へのつなげ方が変わってきます。
もちろん、作曲者が楽譜に書き込むのと、演奏者や指導者が現場で注意事項として書くのとは、レベルが違いますが、少なくともそのような書き込みが、強烈な注意喚起となります。また、「できないこと、実現不可能なことを書く」というのは「演奏者に緊張状態を与える」ことになります。
またcrescendoというのと
との違いも考慮に入れなければいけないです。
これは「緊張感の増大を表している」ことが読める例です。
シューマン:森の情景 待ち伏せする狩人
・ショパンの場合
これらの楽譜をご覧ください。
スケルツォの第1番中間部、これは有名なポーランドの讃美歌です。右手は「レファレファレ」と書かれてありますが、これが旋律線ではないことは明白です。
ソナタ第3番の終楽章も「シレファソミラシレファソミラ」
一方、マズルカにはアーテキュレーションが細かく書かれています。
また、エチュード作品25-1の下書きには、上声四分音符をかき消した跡が・・・
これらに私は「ショパンが楽譜を書くストーリー」のようなものを感じます。
・スケルツォでは「静かな手の移動」があらわされている。
・マズルカでは、手の所作が事細かに書かれている。
・エチュードではいったん上声に四分音符を書いたが「試しに弾いてみたら上声の音は、一拍抑えずに指を離していた。しかし、浮き出るように弾いてほしい」として書き消した。
ショパンは「弾いてみてどのように手指が動くか、またペダルがどのように踏まれるか」を検証し、それを楽譜に反映したと考えられます。彼の書かれた音符は「鳴っている状態」ではなく「手許での行為」だといえます。この点ショパンは徹底しているように見えます。
のように、その点を補った解釈版は数多く存在します。
ドビュッシーの場合
アラベスク第1番には、このような音符があります。
ベルガマスク組曲 前奏曲
明らかに「抑えることのできない」音です。これは「実際に響く音を、楽譜に記した」ということになります。
ピアノの楽譜は①②③どこで起こっていることが書かれているか、考えることができる。
①頭の中で考えられることを書く。表記によっては具体的な方法や、直接の結果を持たないが、書いてあることを思うことによって緊張感やタイミングに微妙な変化が起きる。シューマンの譜例
②手許、ペダルも含む。具体的に何をどうするかを楽譜に書き込む。あいまいさは最も少ない。ショパンの譜例
③実際に響く音を楽譜にする。演奏者は、そのような音になるように手許を操作する。ドビュッシーの譜例
① の場合は具体的に「何をすればいいか」や「どのようになるか」が分かりにくいことがある。全音符にいきなり
といっても、では「こうすればできますよ」というのがない。だから意味がないか?そうではなく、その「できないことをしようとするエネルギー」は、他に転化される。緊張状態を生み出し
が書かれていない状況とは違う音響になる。
②の場合は、徹底的に「何をするか」を具体的に書く。しかし、場合によっては「音楽の構造」が書かれなくなるケースもある。ショパンのスケルツォ1番やソナタ3番の例は「手元で行うこと」は書いてあるが「音楽の構造や響き」は書いていない。
楽譜を見たときに、そこにある音符が①②③どこでのことが書かれているかが、わかることがあります。①②③が一致することもあれば、一致しないこともあります。また、「一致しないこと」を見逃しやすいケースもあります。これらをきちんと踏まえないと「楽譜そのものの音符の意味」がわからなくなってしまいます。
彼らは「自分の作品を表現するために、自分自身で書き方を発明した」といっても過言ではないです。特に、ロマン派の人たちにとって、ペダルの記述は「わずかにベートーヴェンが書き記していますが、ほとんどが前例のないこと。それぞれが音楽の理想を持って考えて発明しなければいけなかった」わけです。
※この表示は、クララ・シューマン版・ペータース原典版には載っているが、ヘンレ版には載っていない。