バッハ・インベンション15番はなぜ難しいか?
マタイによる福音書;第6章3節より「・・・右の手のすることを左の手に知らせてはならない。」
この曲の上声冒頭は、八分休符である。バッハの作品に、この冒頭と同じリズムは大変多い。インベンション、シンフォニアでもよく見いだせるリズムである。
さてここで、ついついこのように考えてしまう。
上声、下声を別々に考えようとせずに、上声冒頭の八分休符を下声の八分音符で補填して考えてしまう。これは2つのことがあります。
1.それぞれの声部を独立して考える。
2.休符を重要なものとして意識する。
この2点が欠如してしまいます。特に冒頭は、ここだけ見ると
つまり
とみてしまいがちです。すると
の部分の意識が薄くなってしまいます。
この赤印の装飾モルデントのタイミング、右手は滑らかに弾かれる中で、左手が緊張を持って準備するタイミングが赤矢印
赤い矢印のところに、左手装飾の準備のタイミングが入る。すると、右手の滑らかさがその「タイミングの衝撃」によって脅かされる、ということが起きる。その結果、青印の箇所あたりがもたつくようになる。
つまり、それぞれの「指令系統」が独立していないために「干渉」が起きる。もっと言うと、一系統の意識はここで赤線のように「蛇行」する。
こうなる場合の「蛇行」はそもそも最初からある。
最初から、それぞれの完全な系統を持つ必要がある。そしてそれぞれは「干渉」されない。
つまり、このインベンションは「完全な2つの系統」を備えていないと、「完全な二重奏」でないと、音楽の流れや進行が分断されるような構造になっている。普通の場合は「何だか音楽が薄いな」で時系列を進めることができるけれど、これは「弾くことが止まってしまう」ことになりかねない。
この曲は「本当に自分の中で二人の干渉されない二重奏」になっていないと弾けない。「お互いによく聴きあう」ことは必要だけれど「無駄に干渉されてはいけない」「それぞれが独立のリズム、呼吸を持っている・自律.自立している」ことが担保される必要がある。もちろん「休符」もである。