休符について考える

モーツァルト:ピアノソナタ イ短調 K.310 K6.300d 第3楽章159~

私が先日レッスンで問題にしたのは、赤で囲った休符についてです。

のように考えてしまう人が多いのではないだろうか。
私は、このような演奏に「物足りなさ」のようなものを感じてしまいました。なぜなら、この考え方だと、この青で囲った部分が唐突に聞こえるからです。

私は、いっそのことこのような考え方もありだと思っています。

もちろん、このことは「左手パートの極秘指令」であり、右手には影響を与えてはいけないことです。ということは「左手パート」「右手パート」がそれぞれ「自立・自律」している必要があります。実際の演奏では、この左手のパートを弾くのに、左手の「気持ちの変化」というか「テンションの高さ」は①ではなく②のように聞こえる方が、より音楽的だと考えられます。

このように、休符に気をつけることは、高度な頭脳のシステムと、細心の注意が必要だと考えられます。次のような場合は、より難しいのではないでしょうか?
バッハ;シンフォニア第2番ハ短調15小節

上声だけ取り出してみます。

リズムの感じ方で、このような休符を感じさせることは可能だと考えています。休符というのは、様々な「呼吸」だと思うのです。
各パートが「自立・自律」しているなら、休符の時「他のパートを聴きながら緊張を持って待つ」というのがあるはずです。そこまで本当にできるかどうかはありますが「存在」は認めるべきだと思います。

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