ピアノレッスン・解釈版と表現の可能性・生徒の持つ技術に関するちょっとした考察

こんにちは。
明石市魚住の大竹ピアノ教室の大竹道哉です。
本日もブログを発信していきます。


ドビュッシーのアラベスク第一番 解釈版を見ると、次のようなペダルが書かれている。

①の解釈版のペダルの踏み方だと、このような響きの山ができる。

ここで校訂者はおそらく、②のようにペダルを踏み続けると、音が濁ってしまうということを考えたのだと思う。ということは、「②のようにペダルを踏み続けても濁らない技術(タッチ)を持つ演奏者」については、考えられていないかもしれない。

このようなペダルを踏んでも、響きが濁らないとしたら、演奏時の選択肢が増える。
のような、なだらかな、ゆったりとした響きの山が築ける。※※

さてここでいくつかのことが言える
1.校訂者は往々にして「常識的な解釈」「常識的な技術レベルの演奏者」を想定している。※
2.校訂者のこのような示唆は、高度な技術を持つ演奏者には、演奏方法を選択するのに邪魔になることがある。

「ハーモニーが変わってもペダルを踏み続ける」というのは、普通、初心者にはやらせないだろう。「響きが濁る」からだ。しかし、上級者になると、濁らせずに踏むだけの技術を持っている。以前書いた〇の大きさで言うと「踏み続ける→響きが濁る」ではない。

特に現場の指導者は、生徒の技術や音楽の可能性と、指示された方法とをよく吟味して奏法を選んでいく必要があると考えられる。「誰にでも同じ解決」というのではなく、その生徒の音楽性や持っている技術、あるいは演奏上の可能性などを考慮して、生徒とともに考えていく姿勢が必要と思われる。
なるべくなら、小さな〇のままではなく、それをいかに大きくするか。「○○すると××になる」ではなく「○○しても××にならない」というスタンスは必要である。こちらを参照1 こちらを参照2

さて、わたしは・・・・?
実は、この曲は「レッスンの友」に演奏上の注意を書いたことがある。しかし、ペダルには上記の理由で具体的に書くことができなかった。私は②のように弾くが、それは大概の生徒に勧めることはできない。
現場のレッスンの先生が、その生徒の持っている様々な演奏技術、音楽の内容などにかんがみ、その場で考えながら指導する以外にない。また、あるとき①のように踏んだ、やっぱり②のように、あるいはその逆も、ということもありえる。

※「常識的な解釈」「常識的なレベルの演奏者」というのも、そもそも校訂者の主観である、としか言えない。
※※このことは、「表現の可能性、選択の可能性が増える」ことに言及しているのであって、①より②の解釈や演奏がより優れているといっているのではない。また、解釈の正しさとも別問題である。よって、②の可能性も技術的に持ちつつ①で演奏することも、大いにあり得る。
こちらも参照
これに関する動画を数日中にアップします

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