譜読みをレッスンする(2011年10月レッスンの友掲載)その1
譜読みをレッスンする
「音名」を読みますか? それとも「音楽」を読みますか
ピアノレッスンの現場で、新しい曲の「譜読み」の方法をレッスンすることは、あまりされていなかったように感じます。
よくあることですが、先生は、生徒に新しい曲を指定し、「来週までに読んでくること」と言います。
そこで生徒が初めて、新しい曲と出会うとき、譜面の「何を」読んでくるのでしょうか?
「単なる音の羅列」なのか、「生きた音楽」なのかが大きな問題です。
ひと昔前(?)のコンピューターの発する人工音声は、活字にするとこのようになります。「ワ」「ガ」「ハ」「イ」「ハ」「ネ」「コ」「デ」「ア」「ル」「ナ」「マ」「エ」・・・・・・・
その音声に抑揚や、句読点、強調されるべき単語やシチュエーションによる感情の変化などは、存在しません。そこにあるのは、意味のない「音」だけです。聞いている人は、頭の中で文字をつなげ、句読点や抑揚を想像し、やっと理解することができます。おそらく、人が一日中このような話し方をお互いにしていたら、気がおかしくなってしまうでしょう。
さて、ピアノの譜読みはいかがでしょうか「ド」「ド」「ソ」「ソ」・・・・
先ほどの人工音声のような感じで、無神経に音を順番に押すことで、「譜読みは終わった」と思っていないでしょうか?
そこで今もう一度、文章を読むことを考えてみましょう。「本読み」が終わるというのは、正しい抑揚で、正しい文節で読み、状況や主人公の気持ちなどストーリーが理解できた時点で言えることでしょう。先ほどのワ」「ガ」「ハ」「イ」「ハ」「ネ」・・・・・・という状況でしたら、本を読めたとは言えないのではないでしょうか?
つまり、本読みが終わったというのは、「文字を順番に発音できた」ことではない、同じように「譜読み」が終わったことは「鍵盤を順番に押せた」ことではないはずです。
私は、「譜読み」=「音楽を読み取る」と定義します。このことをもっと明確に考え、練習の初期段階に「音楽を読み取る」ことが必要不可欠なことだ、と考えています。また先生がレッスンでもっと深く考え、踏み込むべきことだと思います。良い演奏を実現するためには、必要なことです。
なぜ「譜読みの仕方」によって仕上がりの演奏が変わるのか、は次の理由が考えられます。
- 音の羅列の譜読みをすると、譜読みの期間にその音の羅列の不自然さに慣れてしまい、耳が音楽を聴こうとしなくなる。
- 指や手が、音の羅列のみの動きに徹してしまい、指や手がフレーズや表情、強弱などに反応しなくなる。(よく歌うことも、よいテンポや正しいフレーズで演奏するのも、実際に「ピアノへ伝える動き」によって実現することを、忘れてはいけないと思います。)
つまり、「譜読み期間」に、手も耳も「音楽」に対し鈍感になる可能性があるわけです。これは、ピアノ演奏にとって決定的ともいえる見過ごせないことです。
音楽の様々な要素、テンポ、リズム、ハーモニーによってでき、形式、様式など多くの項目に耳を傾けなければなりません。また、ピアノのテクニック上の諸問題、指使い、ポジション、弾くのに使う動きなど、弾く時に気をつけなければいけないすべての事柄を、譜読みの時から読み取っていくべきだと思います。「仕上がりの良し悪しは譜読みにかかっている」といえます。
では、そのような「仕上がりの違う良い譜読みのしかた」を、レッスンの現場でどうすれば実現できるか、ということです。これには、様々な点から「ピアノ演奏」を検討しなおさなければいけないと思います。
1.譜読みを定義しなおす=本読みとの対応
譜読みとは何かをもう一度深く考えてみましょう。「譜読み」に対応することとして「本読み」を考えるといいと思います。たとえば学校で、みんなの前で夏目漱石の「吾輩は猫である」を暗唱して聴かせることになった、と思えばいいわけです。
つまり、夏目漱石の「吾輩は猫である」を朗読するのと、ベートーヴェンの「ソナタ第8番 悲愴」を演奏するのと同じだということです。
2.本読みの手順を考える。
まず、ゆっくり読み、段落に分け、わからない単語は辞書を引き、意味を理解する。段落ごとにゆっくりではあるが、イントネーションや表情、間などにも気をつけて、部分部分を自分に読み聞かせて納得させて覚えていく・・・・ということになると思います。その間に、作者や登場人物の気持ちの変化も考え、それが深まるにつれて、読み方が変化し、より多くを自分が感じ取り、他人にも伝わるようになってきます。これが本読みです。譜読みもこれに対応させればいいというわけです。
3.数々の要素を検討しなおす
ピアノ演奏には、具体的な項目があると思います。それらは互いに関連しあい、最終的に切り離すことができません。
音楽の3要素としては、リズム、メロディー、ハーモニーが挙げられます。そして演奏時に注意する項目としては音色、音のバランス、などが挙げられます。音の持つ質感など個々の要素もあり、声部どうしの関係性なども問題になってきます。楽節や部分、形式にも考えをめぐらさなければなりません。これらすべてのことが、様々に多様に展開されることによって、音楽が作られているわけです。これらを総合的に把握し、理解することが「譜読み」だといえます。
操作する個所としては「右手」「左手」「ペダル」に分けられさらに各指や、前腕 二の腕、体全体の使い方などの項目も存在します。
これらの多くの要素を勘案しながら、譜読みを進めていき音楽をそこに浮かび上がらせなければいけないわけです。
譜読みのレッスンの実際=先生は何をすべきか?
まずは、
譜読みで読み込んだことが、仕上がりに反映される。
譜読みで読み込まなかったことは仕上がりの演奏では反映されない。
ということを強く自覚して考えていきます。
「譜読み」レッスンの実践
初めて生徒が見る楽譜で、レッスンを行うことが必要だと思います。ただ、勘違いしてはいけないことは、「先生が読んだものを生徒に与える」のではなく、「生徒に読ませ、そこで読んだものを整理し、どのように弾くべきかを考えさせる」つまり「譜読みのときの様々な情報の整理の仕方」を教えるべきだと思います。
「譜読みのレッスン」で必要なことは、2小節、あるいは1節でもいいから、生徒が「音楽がわかった」という弾き方ができるのが目標です。最初の段階で、ただだらだらと長々弾くと「今弾いたものの印象」が0であるでしょう。明日になったら「昨日、どんな曲を弾いたのかさっぱりおぼえていない」ということになりかねません。「昨日はこのようなものを弾いた」という印象だけでも残さないと、自分の心や頭の中に、音楽を積み重ねていけないわけです。つまり上達しないということです。
「上達する」ということは今日行ったことを、ほんの少しでもどこかに覚えていることにほかなりません。
両手でいっぺんに弾くか、片手ずつ弾くか
一番最初の譜読みのとき、一度に両手を読むのが難しい場合があります。
両手、片手の練習についても検討しなおすべきです。もちろん片手練習はするべきですが、音楽は片手だけで完結してはいません。このことを自覚し、あくまでも両手で弾けることを目標にすべきでしょう。このためには、片手→両手→片手→両手、と頻繁に往復する過程を経るといいと思います。片手ばかり弾いていると、まずは頭の全部を左手のために使います。そして今度は右手のためだけに使います。両手の時は頭をどう使うのでしょうか?
ですからこの往復の間に、両手の関係に気を少しずつ回すといいでしょう。片手で弾く時は「両手になったらどうなるか」両手で弾く時は「片手ずつの問題点は」と考えるのがいいと思います。また、譜読みの時に、「手に覚えさせる」という発想も大切だと思います。つまり、何度か「左手を覚える」練習をして、両手に移るときに「右手のことを考えながら弾く」というようなやり方です。(熟練してくると、「手が音楽を考える」という状態になってきます。)
「表情豊かに読む」
生徒がいくつかのまとまりの音符を読めたら、その音符の連なりの抑揚や表情、ハーモニーを考えさせ、ゆっくりでいいから正しいリズムで弾かせます。強弱や音の動き、音の弾みなどにも気をつけ、なるべく音楽を自分に言い聞かせるような気持ちを持って、弾くのがいいとおもいます。表情豊かに弾くことが必要です。もちろんその曲の様式をよく踏まえることも忘れてはいけません。
速い曲をゆっくり練習するときは「速くなったらどうなるか」のような考え方、気をつけ方が必要です。
生徒の片手練習を何も言わずにきいていると、もう片手がどう入るかなどを無視したような弾き方をすることがあります。先生はもう片手を弾いてあげて、両手がどのような関係なのかを教える必要があると思います。ゆっくり練習のときはテンポをいい加減にしてだらだら弾かないことです。
ペダルに関すること
最初からペダルを入れてさらうと、タッチがいい加減になり、ごまかしてしまうことが多いので、ペダルなしで譜読みということが多いと思います。この場合も「ペダルを入れたらどうなるか」という計算が必要だと思います。往々にしてあとからペダルを入れると、入れなかったときに弾いていた音がペダルによって響きが広がり、響きが重く感じることが多くあります。ペダルなしで弾くとき、逆算して幾分軽めのタッチでさらうといいと思います。試しに、初歩の段階でペダルを踏ませるケースもあると思います。ペダルなし練習の合間に、ペダルを入れてみて、再びペダルなし練習に戻る。その時にペダルを踏んだ時の状態を想像して、タッチを変えていくこともあると思います。
全体を見通す=形式に対する意識を養う
全体を見通し、今はどのような部分を弾いているのかも、考えられるといいと思います。提示なのか、展開なのか、難しい言葉は使わなくても、子供はそれなりに図式や比喩などで理解できると思います。先生が、これから弾く曲の大まかな形式を示唆することもあるとおもいます。ピアノ技術の発達に応じて小さい形式から大きい形式へ、「形式に対する認識」もだんだん大きく、深くとらえるようになるといいと思います。
今述べてきた「譜読みのレッスン」は、「右手10回」「左手10回」「両手10回」などという、決まったパターンにあてはめることはできません。教師は生徒の状態をよく観察し、生徒自身が「何について考えて、何について考えていないか。」「何を聴いていて、何を聞いていないか」を判断しつつ、「考えていないこと」「聴いていないこと」のほうに目、耳を向けるように促すことが必要です。
(なお、この記事の著作権についてですが、レッスンの友社は解散したため、大竹道哉に著作権があるものと考えて掲載しています。)