ショパン エチュード作品25-2

ショパン作品25-2エチュードの冒頭の部分です。ここは作曲者による指使はありませんが、三連符の最初の音はそれぞれ1の指を使うのがいいと考えられます。青〇がそれです。それにより、三連符がよりはっきりと手に意識されます。この1の指が右手のリズム感を支配し、Bのようなことにならないようにしています。下のようなリズムの取り方を防ぐのは、指使いだと言えます。1の指をうまく使うことにより、下の譜例のような誤った弾き方は避けられます。
アウフタクトで、右手は狭めた手を準備します。①では、手が狭められています。②で少し手は拡げられます。その時、表情は少しだけ広がりを見せます。③で再び狭められ④ではより拡げられその勢いで、⑤⑥とポジションを変化させています。手の収縮と伸長、音楽のニュアンスには絶妙な関係があると思います。
手指の感覚と、音楽の表情との一致は、なくてはならないものです。これは何も「ショパンのエチュード」のような高度な技術を持つ楽曲のみの問題ではないと思います。
ペッツォルトのメヌエットです。①の部分が、第1のポジション、②の部分は第2のポジションです。ポジションが変わることにより、音楽の気分が高揚します。このようなことに、子供に気がつかせることは十分可能です。
ピアノのテクニックは、ダイレクトに音楽表現に結び付くと私は考えています。そのように考え直して一つ一つの動きを検証していくと、豊かな音楽が現れると思います。
ところでドビュッシーのエチュード第1番を見てみましょう。「ツェルニー氏にならって」と副題が付けられたこの曲、最初の部分はつまらなそうな音階練習に、いたずらのような邪魔が入る。そしてこの小節から音楽は空中へ羽ばたきます。でもちょっと待てよ、このモチーフは「ツェルニー30番」の第1番のモチーフをひっくり返したものではないでしょうか?ひょっとしたらドビュッシーは、狭い音域の中で動いているものをここで「解放」しているのではないだろうか?
彼のエチュードは「ショパン研究」(ショパンの楽譜の校訂)の結果だと言われています。また彼の伝記を読むと「ピアノの退屈な練習」に嫌気がさしたこともあるように思われます。「子供の領分」の第1曲「グラドゥス・アド・パルナッスム博士」もそのようなコンセプトです。

私の「ツェルニー30番」についての見解です。
1.テンポについて
ツェルニーが「望んだ」テンポではなく「演奏可能なテンポ」の上限ではないだろうか?
2.ハーモニーについて
基本的なコードはしっかりしている。ただそれ以上となると問題である。
使い方としては、一時期のテクニックの練習、および基本的なハーモニーの習得。どっぷり漬かりすぎないためにバッハをはじめとするポリフォニーのものやモーツァルト、ベートーヴェン、シューマン、ショパンといった、多声部がしっかりした構成のものを絶えずやっていく。エチュードとしても様々なものをやっていくのも方法であるが「練習用エチュードのみで本当の意味での上達はないのではないだろうか」と思っています。つまり「過信しない」ことは必要だと思います。Photo Photo_2

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