シンフォニアのソルフェージュ・続編
こんにちは。
明石市魚住の大竹ピアノ教室の大竹道哉です。
本日もブログを発信していきます。
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前回のようなエクササイズを行った後に、例えばフランス組曲5番アルマンドを弾いてみる。
ここで、例のエクササイズを行ったことにより、演奏者自身の中に「この曲の内声を歌うとどうなるだろうか?」という「気にする」気持ちが起きつつ、譜読みをしていることが多い。
すると、下声と、内声をはっきり分けて認識しようとする。今までどうしても
のようにとらえがちだったのが、「内声の歌い方」をちょっと気にすることにより、分離し独立する。
また、この「分離、独立」は「自由」をもたらすことになる。
このような発想、またこれを受け入れる読み方だけが正しい。
下声は、長いゆったりした歌を歌おうとしている。内声は、シンコペーションをはさみながら、行ったり来たりしている。それぞれのパートの「音が行きたい」方向が、この認識によって表現が可能になってくる。結果「単に上声が出ている」だけの演奏よりも「それぞれのパートがいろいろなことを言っている」曲としてとらえることが可能になる。
内声の動きに敏感になると、次のようなことが言える。
たとえば、上譜の内声E-F-D-E音の「ゆらぎ」や「テンションの変化」などが演奏に反映される。つまり「単に和音を弾いている」のではなく「和音の構成音、それぞれの音の意思のようなもの」を感じたり表現できたりする可能性がある。(だからこそ、和声感のある演奏というものがあるのだけど)
つまり「バッハのようなポリフォニーを学ぶ」のは「和声感のある演奏」「それぞれの音の意思や方向を把握した演奏」につながっていく。各声部が、それぞれ自立・自律している。だからこそ、豊かな表現ができる。